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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

1月14日

 Sさんから「衆議院予算委員会で、今年は伝統的な数え方でいえば皇紀2676年と言っていたが、何を言っているんだ、あれは・・・呆れてしまった」という電話があった。

 私はこの委員会は見ていなかったが、朝日の天声人語で目にし、Sさん同様、今どき、このような場で言葉にする人のいることに驚き、名前も知らない議員なので、年令は? 議員になる前の職業は? などバカらしいことを知りたいと思っていたのだった。Sさんも所属政党以外は知らなかった。

 現在の政権の方向にこび、ボスを喜ばせよう、そして点数をかせごうとして言ったのかもしれないとも思った。

 それにしても、「伝統的な数え方でいえば」という言い方は、Sさんが「気になる」と言ったように、予算委員会の少なくとも野党議員は聞き捨てにしていたのだろうか。

 辞書―大辞林には「伝統」を「ある集団・社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習」と書いている。

 日本書紀での神武天皇の即位が西暦紀元前660年。まあ、神話の世界の話だからとニコニコすることはできる。しかし公的な場で「伝統的な数え方で」となると笑っておれなくなる。それだけで国の歴史のまるっきりの否定だ。国の今とこれからを議論する国会の場で、どんな意図があったか知らないがあまりにバカにした言い方ではあるまいか。

 田舎育ちの子どもの私にも、戦争が激しくなってきてから、既に済んでいる「紀元2600年」がことあるたびに耳に入ってきたものだった。小さい私にとっては、だからどうということはなかったが、国民の戦意を高揚するための言葉の一部であったことはまちがいない。いくら踊らされ死んでいった人のいることか。

 これからの国のあり方を考えている政権があらゆる場を使っての将来への道の“地ならし”とも考えられないこともないと思うと、とてもとても笑ってすますことではないと心配性の私は思う。( 春 )