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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

1月3日

 今年も研究センターをよろしくお願いいたします。

 年を重ね過ぎている私にとって新年を迎えることは、めでたさも半分という気持ちです。ましてや、世の中が決して安心できそうでないと思うとなおさらです。もう少しの間、この欄に駄文を書くことをお許しください。

 「戦後70年」という文字をいろんなところで目にしますが、戦後20年にあたる1966年に出版された「日本の百年」(社会思想社刊11人の共著)のなかに、次のようなことが書かれていました。

 

 いわゆる明治人は、帝国憲法教育勅語で構築された鉄のフレームの中で疑うことをしなかった時代の空気を満身に反映、それが明治人のバックボーンになった。

 ところが、いまの日本国憲法は、主権在民・議会民主主義・基本的人権・不戦を宣明した徹底した平和主義の4本を柱にしている。柱の3本は明治の自由民権運動が空しく手を差しのべたものでいまここに実現したもの。4つ目の平和主義は、世界にまだ類例をみない新しい国のあり方を規定。この4つの柱は近代国家が追及してきた目標に到達したものとすら言えるもの。

 問題は、こうした理念を抱いている政治の現実。国民は一枚の用紙に希望と信頼を託して投票場に臨んでいるか。政治は、およそ国民に政治への関心をもちつづけさせているか。

 戦後日本のフレームである憲法は、うっかりすると改変されるかもしれないという、あやふやな状態にさらされている。その状況は、日ごと夜ごと震動してやまない所に新しい家を建てよと指図しているようなものではないか。

 国民がその足をふんまえている憲法が動じないものと信じられたうえでなければ、この憲法のフレームの中に生きるいかなる人間像も、これを期待することはむつかしいであろうと私は考える。

 

 戦後20年の憲法を巡る動きをちょっとでもお知らせしようと、編者(笠信太郎さん)の文の一部を断りもなく勝手に短くしたものである(趣旨は変えていないつもり)。

 戦後20年で日本国憲法はぐらついていたということ、その因は政治のあり方にもよるが、どうもわれわれ国民にも大いにあるようだということがわかる。

 その後50年経つ。よくぞ守りつづけたとも言えようが、戦後20年と一緒にして考えると、ますますグラグラしてきているのは、立憲主義を壊したい人たちだけの問題にするだけでは震動が増すだけではないか。わたしたち国民に起因するところも大きいのだと自戒することを忘れてはならないように思う。

 少なくとも私は、まだ「生ある」うちに、笠さんの言う「近代国家が追及してきた目標に到達したもの」である日本国憲法の4つの柱を変えたりなどさせてなるものかと意を強くする。もちろん、ひとりで何かができるなどと思っているわけではない。

 そのためには、みんなが、よりトータルにものを見、考える力をつけなければいけないと思う。( 春 )