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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

12月27日

 年末になると思い出す一つに「日宿直廃止闘争」がある。その時私は30才ぐらい、中学に勤務していた。

 日教組が提起し、私たちは全員署名した廃止要求書を町の教育委員会に提出、勤務時間終了後、町の教育長と連日交渉をもった。

 ところが、25日に突然、日教組から闘争中止の指令が出た。私たちは大いに困った。「中止と言われたので・・・」と、今さら署名を取り下げるなど、振り上げたコブシを下ろすことはできない。

 このまま引き下がれない私たちは隣設する小学校分会と相談、2校だけでそのまま教育長との話し合いをつづけることにした。日宿直廃止闘争と言いながら、当然、日宿直の問題に限らず町の教育全体に関わる話し合いをつづけてきた。教育委員会と教育全般についてこんなにも長時間突っ込んで話し合いをつづけたことは後にも先にも私にはない。

 明日から年末年始の休みに入るという28日、教育長から「町内10校の31日と1日の2日だけだが日宿直勤務はなしにする。その2日間については、教頭と用務員さん(現在の技師さん)にやってもらう。」という回答が出されて、連日の交渉は終わった。

 私は瞬間、(困った!)と思った。私たちの学校の用務員Sさんは単身で住み込みなのだ。私たちのしわ寄せがSさんに回っていいのか・・・と。

 私と同様のことを考えた仲間は他にもいた。この日予定していた忘年会開始の時間はとうに過ぎていた。教育委員会室を出るとすぐ立ち話で、「明日9時に集まろう」ということで全員一致。忘年会の会場に急いだ。

 忘年会はいつもと変わりなく賑やかに終わった。

 翌日、分会員全員(管理職以外の職員すべて)が約束の9時にはそろった。

 話し合いはすんなりと結論が出た。みな考えてきたことは同じだったのだ。

 「おれたちの代わりにSさんに日宿直をさせてはいけない。Sさんの分はおれたちでやればいい。後でごたごたにならないように、日誌にはSさんの名前を書いておく。」と。そのための日直者と宿直者もすぐ決まった。Sさんにはそのむねを話し自宅に帰ってもらうことにし、短時間で解散した。

 私は、今でも、この中学校に8年間もいた。こんな仲間と一緒だったのだから何年でもよかった。偶然勤務することになった職場だが、この職場をくぐることがなかったら、私の教師生活はずいぶん違っていたかもしれない。私は幸せな人間だと思うと同時に、この小さな「日宿直廃止闘争」を自分のなかで今も誇りに思う。

( 春 )