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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

12月6日

 「トムは真夜中の庭で」を書棚から引っ張り出して久しぶりに読んだ。すっかり忘れていた。著者フィリパ・ピアスは、後に付けた「この作品について」の最後を「~おばあさんは、じぶんのなかに子どもをもっていた。私たちはみんな、じぶんのなかに子どもをもっているのだ。」と結んでいる。

 辻邦生は「言葉が輝くとき」のなかで、「~そういう嬉しさが心に生きているときは、私たちの心のなかで生命が踊り上がっている。だから私たちは人生の箱や檻から出たとき、そして生命が自分のなかに充実しているとき、明らかに子どもに帰っている。『遊び』の状態にいる。」と書いている。辻はまた別の個所で「私のいう幸福とは生命感が身体の中に輝くこと」とも言っている。いずれも、ピアスと重なるように感じた。

 ふたりは同じことを頭のなかに描き、ピアスはそれをファンタジーという形で物語にし、辻はそれを下敷きにして小説を書きつづけたのであろう。

 そんなことを考えているうちに急に心配になってきたのは、今の子どもたちのことだ。大人になったとき、はたして「自分のなかに子どもをもっている」だろうか・・・。たとえ持っているにしても、どのくらいのもちあわせがあるだろうか・・・。

 もちろん、どんな環境にあろうとも逞しく生きる子どもを何人も知っているし、そんな柔でないことも承知している。

 しかし、学校でも家庭でも子どもの囲い込みは尋常ではない。子どもたちの呼吸困難さえ感じる。子ども時代を満たすことなく過ごしておいて将来生命感を身体に輝かすことはなかなか容易でないのではないか。それは、私たちの価値観、社会全体のありようが、子どもたちから「子ども時代」をはぎとっていないかどうか、つまらない価値のおしつけをしていないか考えてみたいものだ。( 春 )