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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

11月20日

 「子どもの国からの挨拶」(今江祥智)を読んでいたら、「人は文字をよむことを覚え、本を読めるようになると、もう一対の目をもったことになる」というケストナーの言葉が引かれていた。今江が娘に絵本をよんでやった話の中での引用である。

 「もう一対の目をもつ」とはうまいことを言うと感じいりながら、この「もう一対の目」はどんな目を想像しながらケストナーは書いたのだろうと思いをめぐらしているうちに、(この目は、どんどん心までもふくらませる目だな)と思ってきた。もちろん、既にもっている目も、見ることで心を動かすことに絶えずつながっていることはまちがいない。

 「もう一対の目」は、それを支えて、なお心を豊かにしてくれるということになるのだろう。

 確かに、幼児期に絵本を読んだ子と読まない子とで特別な違いがありますかと問われると答えに窮する。なにしろ目に見えるものとしてあらわれることではないので。でも、「もう一対の目をもつこと」と考えると、文字を教え、本を読める力をつけ、好きにさせることはおろそかにできないことになり、大人の役割(わけても教師や親の)は小さくないことを強く自覚してかからなければならないことになりそうだ。

 その意識が特定の人のものではなくて、すべての子どものものになるように心掛けなければならないことになるのではないか。

 残念ながら私は、授業でクラス全員の目を同じようにキラキラさせることはできなかったが、読み聞かせではそれは可能だったように思う。もちろん、取り上げる本によっての凹凸はあったが・・・。

 特に教師は、学校の中で、仲間の間での読み聞かせ体験交換の輪を広げることは大きな力をつけることになるのではないか。( 春 )