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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

11月15日

 ときどき本屋をのぞいて驚くことのひとつに、哲学書のならんでいるなかに、50歳を前に亡くなった池田晶子さんの多くの著書のほとんどがいまだに並んでいることがある。もちろん、池田さんだけのことではないのだが、哲学コーナ―で、しかも亡くなられて8年ぐらいになるのだ。書棚の前に立って変わっていないとうれしくなる。別に特別なファンでもないのに・・。

 

 そのなかの「14歳からの哲学」も、いつ行っても消えていない1冊。今の世の中、哲学書がたくさん読まれているとは考えにくい。でも、書棚から姿を消さないというのは、書店の「読んでほしい」という願いを感じるし、棚から消えない程度に読む人がいるのかもしれないと勝手に推しはかってひとり喜んでいるというわけ。

 「14歳からの哲学」は、「考える」の章から始まり「言葉」へとつづいていく。それこそ この「14歳~」を「考え」ているうちに、2つのことが頭に浮かんだ。

 

 1つは、かつて、5~6年と受けもち中学にいったM子が、「考えない私になってしまいそう!」と中学生活をつづった手紙を送ってきたこと。

 もう1つは、まるっきり「考える」と関係がなさそうだが、安倍首相が安保法案の質疑で、質問者に「早く質問しろよ」と言った、もちろん思い出したくないこと。

 この2つめについては少し説明を要するようだ。この言葉は、質問者が質問をするために話していることをまったく聞いていないということを相手に、いや満場の人に自分で明かしており、これほど無礼な言葉はないと言えるもの。言葉を替えれば、他の意見を聞いて「考え」ようとする気はいっさいないということであり、「考える」ことを放棄してかかっていることを権力をかさに恥ずかしげもなく言葉にしたもの。いや、「言葉」などとも言えないヤジ。

 池田さんは言う。

「自分が思っているのだから正しいと思っている人は、自分ひとりだけの定規、自分ひとりだけの目盛りを使って、すべてが正しく計れると思っているようなものだ」

「人は、『考える』『自分が思う』とはどういうことかと『考える』ことによって、正しい定規を手に入れることができるんだ」

と。

 「考える」ことを“しない”“できない”首相をもつなんて、私たちはなんて不幸なことか。今からでも「14歳の哲学」を読んでほしいと思う。学ぶに遅いということはないはずだから・・。いや、首相の場合はもう手遅れか・・・。

 池田さんの書く哲学書は、専門用語をほとんど使わない。門外漢の私には池田哲学の位置づけはまったくわからないが、著書のタイトルに「考える」が使われているものが多い。その「考える」が、私にとって興味十分なのだ。( 春 )