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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

10月13日

 テレビ番組表を眺めたうえでテレビを観ることはほとんどない。どのチャンネルに回しても、似た人たちが出ていて、みんなで似たような話をして笑っている。それを悪いと言いたいのではない。

 「他局と違ったものを・・・」と工夫するのが、テレビの世界に限らず制作者であることの魅力なのではないかと私は思うのだが、違っていくどころかどんどん似てくるのが不思議であり、まったくわからないところである。

 視聴率争い(推測だが)がそうさせているとすれば、視聴者の責任が大きいということになろうが、テレビが公的なもの(?)とすれば、その視聴者の責任を超えて送り手の責任がやはり大きいといえるのではないかと思う。 

 先日、たまたまひねったチャンネルが、ドナルド・キーンさんを取り上げていた。途中からだがそのまま見つづけた。

 そのなかで、「なぜ日本国籍をとったか」と尋ねられたキーンさんは「私は日本人を信じますということを知らせたかった」というように答えておられたのを聞くことができた。

 聞いた私は、正直うれしくなったのだが、日本で起きているさまざまな事柄を思いながら、おもはゆくもなった。

 キーンさんが「日本人を信じます」と真面目に話しておられることは画面をとおしてよくわかった。

 そういうキーンさんに、日本の政治も社会も胸をはれるだろうか。あやしいどころか、とてもとても顔向けができないと思った。

 私がキーンさんに関心をもったのは、「百代の過客」の新聞連載からではなかったかと思うが、それから相当の時間が経つ。キーンさんの日本文学研究は長いから、その文学研究と「日本人を信じる」が結びつくのだろう。でも、「日本人」というと、文学というより、今の私たちと結びつく。とすると、現在の日本社会はどうだろう、安心して住めるところではとうていない。映画「東京物語」で、原節子が両親が急に泊まることになったと、隣人から1升壜に余っている酒を借りてふるまうような世の中ではなくなっている。 

 たった一人の人であっても、「日本人を信じるから日本国籍をとった」と言われると、私はただの日本人のひとりだが、うれしさと同時に、とても強い緊張感を覚える。アベさんはどうだろう?( 春 )