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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

8月19日

 今年の8月は、猛暑のせいもあるが仕事から離れたこともあり、これまでになく家に閉じこもる日が多い。

 家にいれば、新聞もよく見るし、テレビも見ることが多くなる。そのためか、8月6日、9日、15日をはさんで戦争に関する報道が常より力が入っていたように思った。そのなかで、15日までの間、こんなにも騒ぐものなのかと不思議に思ったのが、戦後70年目ということでの「安倍談話」。

 「侵略」を入れるか入れないか、「謝罪」はどうするか・・・。聞いていて、(なんだ、こりゃ)と、ただただ呆れるばかり。なんとそのための有識者を委嘱しての委員会をつくり、そこが話し合った結果を報告するという。その結果の「安倍談話」が長々としゃべられる。聞いていて、誰が誰に、なんのためにしゃべっているのか、まったくわからない。

 猛暑以上に変調をきたしてしまう。

 「侵略」の事実は何年経っても消えるわけはない。詫びるべきことも何年経っても詫びるのは当たり前。70年経ったからどうしようなどというものではないだろうに。

 それをやや距離を置いて眺めているというのだから、日本という国自体がおかしいのではないかと思った。どうするかと悩む首相はもちろんおかしい。でも、それを眺めている私たちもどうかしているとしか言いようがないのではないか。

 吉野源三郎の「職業としての編集者」の中に、三木清がフランスの友人が言ったと、日本人のすばらしさをあげた後に、次のようなことが書いてある。 

 いくつかの問題を精神に同時に受けとめて、これを抱えこんでゆくというようなことは、日本人には不得手なようだ。こういう可能性もあれば、ああいう可能性もある、というふうに多くの可能性を併立させ、複雑なものを複雑に考えてゆくことは、日本人には得手でないようだ。 

もちろん、首相が悩んだらしい(?)のは、このフランスの方が言ったこととはまったく違うということは、誰にもはっきりしている。このように言われる日本人から抜け出すにはどうすればいいのだろう。教育の仕事は重い。( 春 )