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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

7月7日

 7月4日、センターでしばらくつづけている「子どもフォーラム」に参加する。

今回のテーマは「不登校」。

 話を聞きながら、私が担任として、どうにもできなかったS子やM子、T子のことなどについて、会が終わるまで頭の中をぐるぐると回っていた。

私が教師生活スタート直後に偶然サマーヒル学園創設者A・S・ニイルに関する本を読むことができた。これは私にとっては、何よりの幸せであったと今でも思っている。たとえばニイルは、「わたしがこの学校をはじめたとき、子どもを学校に適応させようと思わなかった。子どもに適応する学校を作ろうと考えた。」「子どもが教室から出て行っても追うな。子どもは教室が好きだ。帰ってくるような教室にすればいいのだ。」などニイルの言葉の類は、残念ながら大学で聞いた記憶がなく、ホヤホヤ教師にはきわめて新鮮であった。

だからと言って、私の仕事が容易にニイルの考えにそうものになることはなかった。いや、最後まで「子どもに適応する教室」をつくることはとうていできず、苦い思い出だけがたくさん残った。

 ある年、新しく受けもったクラスのS子は始業式の日に姿を見せなかった。前の学年の後半から休みだし、3学期はついに1度も登校しなかったというのだが、新学年になっても心機一転とはならなかったのだ。

 家庭訪問のとき、庭で遊んでいて、私の姿を見つけるや、「先生だ!」と言い、家に走り込んでしまった。母親と話をしているとき、ふすまの向うに潜んでいる気配を感じたが、家に走り込む時の声と後姿だけで、S子との1年間は終わってしまった。

S子が来るようにどうするか、小学3年生の子どもたちは驚くほど真剣に話し合い、一人ひとりがS子宛に手紙を書いた。しかし、わけは聞けなかったが「あのようなことはしないでくれ」と親に言われてしまった。近所の子が「今日、こんなことをやったよ」と話に行ってもあまり歓迎されなかったようだ。

私は何一つできなかった。何もできない自分があまりに情けなくて、教師でいることが苦しくてしばらくの間、学校への足が重かった。この時もニイルの言葉を忘れたわけではないが、S子がのぞきたくなるような教室ではなかったのだ。

2学期の終わりごろ、「市の『杜の学校』に時々行くようになりました」と親から連絡があった。少し救われたような気になれたが、(S子は、なんでオレの教室がダメだったんだろう)という思いは今でも消えない。ニイルになることはなんと難しいことか。( 春 )