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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

5月22日

2015年5月22日

 17日、三島孚滋雄の足跡を追いかける仕事は、三島さん最後職場になる宮城での動き(白石と仙台)に入っての白石2度目の聴き取り。

大宮から新幹線で来るNさん・Tさんと白石駅で落ち合い、話をお願いしているSさんとMさんのお二人をその場で待つ。ほどなく一緒になり、駅前の食堂の一室で2時間半ぐらい話を聞く。

三島さんが着任する前から勤務していたMさんに三島さんが来てからの学校の様子についてが一つの柱になる。

三島さんは、北海道深川西高校の校長から白石中の校長に転任してきたのだ。Mさんは、なぜ高校長から中学に来たのかはわからないと言っていた。私たちは、去年の北海道調査でおおよそは聞いていたが。

Nさんは、かつて、三島さんについて次のようなことを書いていた。

  白石中学校長三島孚滋雄のことは、大学に通っている私の耳にもはいっていた。羽仁説子・宮原誠一・勝田守一・矢川徳光といった人びとの名は、なまけものの教育学部の学生も知っていたが、そういう人びとをつぎつぎに招いて、町で講演会を開いたのは、白中の校長だと聞いた。巌本真理・黒沼ユリ子・鈴木秀太郎というような人をたのんできて、私の就職後も、年に一度は白中の講堂で演奏会を開くような人である。ブダベストから帰ってきたばかりの無着成恭を捕まえて、中学生に話をさせ、また「ひろしま」を全校生徒に見せることに異論が出ると、自分でガリを切った長文のプリントを父母に配って説得した。そういうことを耳にし、講演も聞きに行ったし、雑誌に載っていた清水幾太郎の「日記」のなかに、「白石中学校長三島氏来訪・・・」とあるのを見つけて驚きもした。高名の清水氏を、地方の一中学校長が訪れたばかりか、泊まって話しこんでいるのだ。(以下略)

36歳で札幌2中(現札幌西高校)の校長代理になった三島さんは、その後、名寄・深川の高校長職を経て、白石に4年在任、1957年、仙台二高にヒラ教員で転任する。それはなぜか。本人は口にしていないが、おおよその推測はできている。これから私たちは仙台での三島さん調べにうつることになる。