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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

4月24日

2015年4月24日

新聞の声欄で高校生Y君の「戦艦『三笠』で日露戦争を知る」を読み、(私が70年も前に見た、あの「三笠」が、あのまま、今も横須賀の埠頭に係留されたままなんだ!)と内心驚いた。

海軍に召集された父から面会日の連絡を受けて母と横須賀に行ったのは小学校2年生の時。なんとも長い汽車の旅だった。

面会できた父は、そうすることが決まっているかのように私たちを「三笠」に案内してくれた。おそらく私もY君と同じように艦内を巡ったのだと思う。

面会は短時間で終わり、その後父は、一晩の外泊を許され、その翌日、船に乗り込んでいる。後で見つけた母への手紙の一部には「~私は本日午後出発して暫く旅行する。手紙は当分出さないでおいてくれ。そのうち予定完了次第通知する。~」と書いてある。

父のその後の手紙のすべては「横須賀局気付」となっており、手紙の文面にも居所は一度も書かれていないが、実際はトラック島にいたのだった。

私たちとの面会日が指定されたのも、直後一夜の外泊(横須賀市内の一般家庭)を許されたのも、トラック島への出発が決定してのことだったのだと後日思った。

Y君は、「三笠」で日露戦争を知ったと書いていたが、私の場合の「三笠」は、父と太平洋戦争を思い出させる。

Y君が日露戦争を知ったというので、今も同じように見学船になっている意味はあるのだろうが、私はやや複雑な思いをもったのだった。

つぶやき日記  2015年4月24日

新聞の声欄で高校生Y君の「戦艦『三笠』で日露戦争を知る」を読み、(私が70年も前に見た、あの「三笠」が、あのまま、今も横須賀の埠頭に係留されたままなんだ!)と内心驚いた。

海軍に召集された父から面会日の連絡を受けて母と横須賀に行ったのは小学校2年生の時。なんとも長い汽車の旅だった。

面会できた父は、そうすることが決まっているかのように私たちを「三笠」に案内してくれた。おそらく私もY君と同じように艦内を巡ったのだと思う。

面会は短時間で終わり、その後父は、一晩の外泊を許され、その翌日、船に乗り込んでいる。後で見つけた母への手紙の一部には「~私は本日午後出発して暫く旅行する。手紙は当分出さないでおいてくれ。そのうち予定完了次第通知する。~」と書いてある。

父のその後の手紙のすべては「横須賀局気付」となっており、手紙の文面にも居所は一度も書かれていないが、実際はトラック島にいたのだった。

私たちとの面会日が指定されたのも、直後一夜の外泊(横須賀市内の一般家庭)を許されたのも、トラック島への出発が決定してのことだったのだと後日思った。

Y君は、「三笠」で日露戦争を知ったと書いていたが、私の場合の「三笠」は、父と太平洋戦争を思い出させる。

Y君が日露戦争を知ったというので、今も同じように見学船になっている意味はあるのだろうが、私はやや複雑な思いをもったのだった。