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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

4月20日

2015年4月20日

 「残念な教員」という新書を読んだ。読んでいる間も読み終わってからも、この書名のことがずっと気になった。

 見返しには「本書でいう『残念な教員』とは、そもそも本業での『教え方を知らない』、その結果、『生徒を成長させられない』教員のことである」と書いてあるので、その意図はおおよそ推測はできるのだが、それでもどうもしっくりしないのである。

 著者は中高一貫校の教員。読んだ限り、著者は「残念な教員」には入らない。書き手が教師以外だったら気にならないのだろうかと思ってみる。それでも私のなかではやはり落ち着かない。

 このような時私は類義語辞典や表現辞典などをひっぱりだす。この手の辞書はおもしろいで何種類も集めている。

 まず「類義語使い分け辞典」(研究社)(説明がなかなかおもしろく具体例もあげているのでわかりやすいのでいちばん最初に手に取ることが多い)。

「残念」は、「悔しい・残念だ/口惜しい・無念・遺憾」とひとつのグループになっている。そのなかで「残念だ」についてのみ以下に一部抜き書きする。

    「残念だ」は「せっかく行ったのに会えなかった・わざわざ買い物に来ながら財布を落としてしまう」など、せっかくの機会をみすみす逃してしまう・期待したことが実現しないなど、マイナスの結果になって、そうでなければよかったのにという運の悪さを、客観的事実として冷静に受け止める気持ちを表し、「財布を落として残念だった」を「悔しい」に置き換えると、じだんだ踏んで神を呪うか夜も眠れなくなってしまう。~

    ~「口惜しい」は、「悔しい」ほど激しくはないが、「残念」ほど冷静ではいられない。~

 長くなるので、他の辞典の記述の紹介は止めるが、この説明をもってしてもしっくりしない。つまり「残念な教員」とは、期待に応

え得ない教員ということなのだろうが、誰が(これは書き手であろう)、特定の教員なのか全体なのかの所業を、誰に(教員になのか、教員以

外の人に)伝えようとしているのかがよく見えてこないので、そのねらいがよくつかめないためか、書名の意味がどうもしっくりと私には伝わら

ない。

同職者である教員に向かって、「期待をもたれているのに、これでは残念じゃないか」という意図で書いているようにもすんなり

とは思えない。と言って、まさか、「教員はこんなにも期待に応えていないのだよ」と一般の人に知らせることをねらったわけでもなかろう。

どうも、「残念な」と「教員」(もちろん教員以外の職種であっても)とはひとつに結びにくいのではないかと私には思われたのである(特定だったらありえようが)。もしかして、私が元教員であるせいで、感情が先だってしまったのだろか・・・。