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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

4月13日

2015年4月13日

 前回ひいた大岡昇平の本から、もう一度書きたいものが出た。

 「証言その時々」は、自分の戦争体験から考えたものを集めたものなので、世の中の動きに合わせての戦争体験者の思いがあふれている短文が刺激的なのだ。

 そのひとつ。1949年12月20日に「夕刊新大阪」に書いた「記録文学について」。吉田満の「戦艦大和」をもとに書いているので、ここでの「記録文学」も当然戦争につ

いてということになる。

 そのなかで大岡は、「旧日本軍人がどんなに戦争を恋しがろうと、敗戦日本が今後決して戦うに足る軍備を持つことは許されないという事実が厳然と控えております」と書いている。この文について特別な説明をしているわけではないが、1949年ということを考えれば、日本国憲法が施行された直後であったので、国全体の願いと動きから明るい未来を信じきって「~という事実が厳然と控えて」と言いきれたのではないかと私は思った。

 そう言いながら大岡は次のように、この「記録文学について」を結んでいる。

  「戦争は厳粛な事実であります。日本はもう自ら戦うことはありますまいが、それだけに国際関係の微妙な一環として、国の存立をかけなければならない我々にとって、国家組織の最高の表現である戦争について盲目であることは許されますまい。戦争を知らない

 人は半分は子どもであります。戦争の真実に目をつぶって平和国家が建設できると思うのは、多分永久に欺されることにほかならないでしょう」と。

 でも、そう言いきれた時間はあまりに短かったということがわかる。

 1957年6月18日「東京新聞」に「白地に赤く」。そのなかに次のようなことを書く。

  「『紀元節復活反対同盟』とかいうものに、署名していたことを、新聞で見て驚いた。文芸家協会の『水爆実験反対決議』

  の提案者のひとりになっていたことも、議事録を見て、思い出した。無関心だったからではない。あんまりあたりまえのこ

  となので、忘れていたのである。テレビなんかで、一日の番組の終わりで、画面一杯に、日の丸の旗が動くのを見、君が代

  が伴奏されるのを聞くと、いやな気がする。『逆コース』に対する憤慨なんて、高尚な感情ではない。なんともいえないみ

  じめな気持に誘われるのだ」

 「日本国はふたたび独立し、勝手な時に日の丸を出せることになったが、僕はひそかに誓いを立てている。外国の軍隊が

 日本の領土にあるかぎり、絶対に日の丸を上げないということである」

 大学の入卒式で日の丸・君が代をという話が出ても、どこも静かに聞いている世の中になっている。戦争に行った大岡たちと私たちの距離の違いは測ることができないほどになっている。どうすればいいのだろう。