mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

4月11日

2015年4月11日

 大岡昇平の「証言その時々」を読んでいる。大岡はこの書についてあとがきの冒頭で「戦争について、折に触れて求められるままに書いた文章を集めた」と書いている。

 この中に、「文学界」で取り上げた武藤貞一という人(私は知らない)の著書2冊についての文が入っている。説明を加えるならば、「証言その時々」は取り上げた年代順に並んでいるのだが、武藤の本は初回と3回目に出ている。

初回の著書名は「戦争」。「ここ3カ月で十万部売れたと聞くが、話半分と見ても異常な成績だろう」と大岡は驚く。ついで大岡は「いわゆる戦争物が、多く最新兵器や各国軍備や未来戦などの読者の好奇心を釣る叙述に終始したのに反し、この本が戦争の惨禍と『戦争を指嗾する』軍需工業家のインチキを摘発してゐる点に、はっきりとした特色が現れてゐる」と書く。なお武藤は「私は敢然戦争を警告する」「これをもし非戦論と云うならば、私はその岌々として国を過まらうとする一知半解の徒の迫害の下に炮烙の刑も敢て辞する者ではない」などと書く。

 著書「戦争」についての紹介は終わりにするが、大岡は、このような書が十万部も売れたということを歓迎して取り上げたことは間違いないだろう。国民の「総意」ということばも文中で使っている。「文学界」1937年4月号に書いたもの。

 2度目に武藤貞一を取り上げたのは、「文学界」1937年11月号。書名は「日支事変と次に来るもの」。前著「戦争」から半年後。

 大岡が抜いている文を2・3、そのまま紹介する。

「剣は既に鞘走った限りは衂らねばならぬ。(中略)問答無用で、一国一単位の体制、全日本民族が一つの火の塊りとなってぶつかって行く以外に手はないのである」

「しかし事国内に関する限り、戦費一億円費ったといつてもその大部分は、国内の軍需生産品に支払われる代価なのであって、別段その一億円が消えてなくなった訳でも何でもないのである」

「戦費が嵩めば公債が殖える。現在の百億が二百億になったらどうするかなど国の亡びる様に痛心するものもあるが、別段百億の公債が二百億になっても国は亡びない。何故ならば、それは公債といふ債券が殖えることと国家の運命とは直接関係がないからである」

などと文言がならぶ。

 説明は不要であろう。大岡は1冊目を取り上げてしまったので、2冊目を取り上げざるを得なかったのだろう。心中が私のようなものにも推しはかれる。

 「戦前このような人がいた」と昔事として呆れて終わりとしてはならないと自分に言い聞かせた。