2015年3月18日
このごろ以前ほど頻繁に本屋に行くことがなくなった。ゆったりする時間がとれなくなったせいもあるが、疲れやすくなり長居ができなくなったせいもある。そんなこともあって、書棚の古い本に手を伸ばすことが多くなっている。
先日の日曜日、「神谷美恵子・エッセー集」を引っ張り出した。
目次を眺めて驚いた。「文部省日記 Ⅰ945-46年」という章があった。読んだ記憶がまったくない。
神谷が「文部省日記」にまず「?」と思ったのだ。
長いものではなかったが、読んで、その章名の意味がわかっただけでなく、敗戦直後の教育の出発の一端にふれることができたように思
った。
神谷が短期間、文部大臣安倍能成の通訳をやっていたときの日記の一部だったのだ。
読んでいて、この通訳の仕事はたいへんだったように思った。徹夜もしょっちゅうだったのではないか。翌日の会に出るのにそ
の車の中でもタイプライターを打ったこともあったようだ。
そのうえに、日記を記していたのだが、この日記は読む私にはまさに貴重品と言えるものだった。
たとえば、46年1月22日の日記の書き出しはこうだ。前田多門を引き継いだ安倍大臣が初めて進駐軍の教育担当のダイクと
会った時のこと。
安倍大臣 (低い静かな声でおもむろに)私は日本が敗戦国であることを認める。また米国が戦勝国であることを認める。しかし米国が戦勝国たるをもって、あえて真理と正義を犯そうとするものではないことを信ずる。したがって、その範囲において私は自分の主張すべきことを主張するつもりだが、なにとぞこれを諒とせられたい。
ダイク (ちょっとおどろき、かつ喜んだ様子で)意見に相違のあることは当然である。・・・
というふうに書き始められている。
読み始めて私はすぐ(安倍大臣、なかなかやるじゃないか)と思った。
二人の様子も見事に書いている。安倍の言葉に対してダイクは、どうして驚き、どうして喜んだのだろう。
私はいろいろ想像をめぐらし、おもしろかった。
同時に、書き記すということの大事さをあらためて考えさせられた。