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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

2月20日

2015年2月20日

 雑誌「教育」3月号の「『実践記録』の戦後教育史的意味」(田中武雄)を興味深く読み、考えさせられた。という言い方よりも、今は現場を離れているとは言え、大きな課題を与えられたように思う。

 私たちセンターでも、3年間にわたって、「戦後教育実践書を読む」会をもった。しかし、現場からの参加者はきわめて少なかった。「忙しい」のが大きい理由かもしれないが、私はたいへん残念だった。テキストとして取り上げたのは、ほとんど50年代のものだったが、今だからこそ、ぜひ一緒に読み合い語り合いたかった。

 私の教師生活は58年にスタートしたからだが、ぞくぞくと登場していた実践書を手にしたときの感動を今も忘れない。しかも、冬の学習会で齋藤喜博さんの講演を、明星学園の公開授業で無着成恭さん・須田清さんなどの話を、その本を浮かべながら聞いたことも昨日のことのようだ。そして、私も少しでも近づく仕事をしたいものだと密かに思ったものだった。黒川の最初の実践検討会で初めて宮崎典男さんに会ったときのことも忘れない。幸せなことに、宮崎さんには亡くなられるまで教えを受けることができた。いろんな会に参加するようになり、たくさんの方から教えを得た。少しも近づくことはできなかったが、本当に幸せだったと思っている。

 田中さんは、前記の文のなかで、「およそ20年にわたって『戦後教育史』は編まれていない」「今再び、危機と混迷の時代を迎えて、子どもを核に、未来をさししめす“星座”が求められている」と書いている。

 読む者の心を揺さぶる実践が出ていないということになるのだろうか。もしそうだとすれば、何がそうさせているのか、乗り越えるにはどうすべきか、真剣に考えたいものだ、子どもたちのために・・・。

 かつて、雑誌「教育」編集部が宮崎典男さんの実践検討会をもったことがある。3年生、教材は「カキドロボ-」。共同研究者は、大田堯・齋藤喜博・柴田義松・篠崎五六のみなさんの火の出るような討論は今も鮮やかだ。その一言ひとことに身震いしたこともまた体に残っている。