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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

2月9日

2015年2月9日

 前回、Kさんの言った「俺達の時代」にふれて私と組合を書いた。それに関して、これも若い時のことだが、どうしても加えておきたいことがある。

 日教組が「日宿直廃止運動」をしたことがある、教師の本務でないということで町教委に署名を提出、連日のように夕方になるとみんなで交渉をつづけたのだが、12月25日、急にこの運動の停止の指令が日教組から出された。振り上げた拳を突然下ろせということだ。私たちは拳を下ろせず、隣の小学校と2校だけでひきつづき町教委との交渉をつづけた。結果、年末ぎりぎりの28日の交渉で、冬休みの31日と1日の2日間の日直・宿直はやらなくていいという提案があり妥結した。ただし、その2日間は教頭と技師さんにやってもらうということだった。

 それはそれで前進ではあったのだが、私たちの学校の技師さんは単身住み込みだった。その夜の忘年会で「技師Aさんに我々の分を転嫁していいのか」という問題が出され、全組合員、明日9時集合となった。

 9時には全員が集まり、「Aさんにやってもらうべきではない、Aさんの日宿直はわれわれでやろう」と簡単に一致、Aさん名での、替わりの日直・宿直もすぐ決まって散会した。

 この時、私は(いい仲間と一緒にいるなあ)とつくづく思ったのだった。もちろん、管理職を除いて、全員組合員だった。

 後日、県教育研究集会が鳴子であった夜の飲み会で、私はこのことを誇らしげにしゃべった。しゃべらないではおれなかったのだ。

 すると、同席していた山形から共同研究者としておいでになっていたK校長が、「ぼくは、全国すべての学校で宿直が廃止されても私たちの学校だけは宿直をやってくれ、その代わり、その日は早く帰ってもらっても何をしてもいいと言っている。」言う。理由はこうだ。「子どもというのは学校が好きだと、顔を洗わなくても朝飯を半分にしてもランドセルを背負って駆けてくるものだ。その時、宿直がいなくて校門や昇降口が締まっていたらどうだろう。その時の子どもの様子を想像するとたまらないのだ」ということだった。

私はそれを聞いてドキッとした。酔いが覚めた。「日宿直は本務でない」と言いながら、それにつながる子どもを想像することはなかったのだ。

教師であることは、いろんなことを考え取り組む場合、常に子どもと結びつけなければならないのだということをK校長の話から学んだ。私にとっては大きな事件だった。