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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

1月13日

つぶやき日記  2015年1月13日

 11日、正月の挨拶に田舎に行ってきた。

 行きは電車・バスと乗り継ぎ、その後いつもはタクシーというところを義姉の車で運んでもらった。こんな調子だから田舎行きは東京よりも時間がかかる。

 帰りは、偶然、この日、実家にきたTさんの車に仙台まで積んでもらった。中学・高校と同じ村に住んだことのあるTは、北上川沿いを走りながら「この川を泳いで横切り向うの畑のスイカを食ったことがあるなあ」といかにも懐かしそうに言っていた。

川は冬でも何も変わることなく静かに流れていた。話を聞きながら、私もその頃の自分と川にもどっていた。川と山に囲まれていたが、川の思い出は数えきれないほどあるのだ。

 小学校時代までは、毎日のように、蒸気船が上り下りした。家の中にいても、ポンポンポンという音が聞こえて来ると、何をしていても土手に駆け上る。蒸気船は荷を積んだハシケを引っ張ってゆっくりと上ってくる。人の影はいつも見えないが船は小さい波をつくって遠のいていく。友だちと土手で一緒になると交互に「オーイ!」と何回も叫ぶ。ただポンポンだけが聞こえて来る。毎日何も変わることなくその上り下りがつづいた。その頃、トラックはほとんど走っていなかったので、荷物を運ぶのは船だったのだ。

後に、映画「泥の河」を観た時も河の姿からではなく、キッチャンの住まいのハシケから小さい時の北上川を思い出した。

 この蒸気船も、戦後しだいに見られなくなってしまった。

 終戦直後、特に数年、大型の台風がつづいた。そのたびに川は大荒れに荒れた。家がそっくりそのまま流れてくるのを何度か目にしたことがある。その家が渦に巻き込まれバラバラになって浮き上がり流されていくのも見た。そのたびに恐ろしさに震え上がった。自然の力にはなすすべのないことを痛いほど知らされた。

 そんななかで、しだいに蒸気船は姿を消した。水量調整のため下手に堰がつくられ、運搬にトラックが走るようになったためだったのではないかと思った。

もっと川を書こうと思ったのだが、ここまできて、川のことを前にも何度か書いたことのあるのを思い出して、やや恥ずかしくなってしまったのでもう止めることする。

何かきっかけがあるとすぐ川を書いてしまうのは、どうやら私は北上川に育てられたと言っていいせいなのかもしれない。