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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

1月8日

2015年1月8日

 日本のラグビーはこれまでになく強くなっている。オーストラリアから招聘したコーチの力が大きいという。そのコーチがテレビで話しているのを耳にした。「日本の選手は、決まったことには熱心によく取り組む。ほしいのは自主性だ。」というような内容だった。

 これを聞いて私は、(これはラグビーの選手だけの問題ではない。教育も同じだな)と学力テスト至上主義(?)のもと、よく聞く教育現場の種々の話を思い出しながら考えた。

 教育の狭い道が決められ、教師も子どももその道をはずれることなく必死に歩くことを強いられる。他の道を歩こうとすれば、教師は適格性を疑われ、子どもは世の中からドロップする危険信号を大人から告げられる。よほどの覚悟が必要だ。

 ゆえに、世の中全体がそんな空気のなかでは、教師の仕事は、決まったものを決まったように教えることがもっとも大事だとされ、教師の「自主性」はまるっきり歓迎されなくなる。

 12月末の朝日新聞のなかに、「Sさんは中学からちょっと不良だった。偏差値で最低ランクの公立高校を卒業。先輩に誘われ、とび職になった。24歳で『大学で勉強しよう』と思いたち、いま28歳、カリフォルニア大バークリー校で政治経済を勉強している。」(以下略)という小さい記事を見た。

 ラグビーコーチの言う「自主性」とずれる話かもしれないが、Sさんは、決められた狭い道を歩かされる生き方をしていないことはまちがいない。大学で勉強したくなったSさんは、語学学校に留学し、地域住民向けの2年生大学から、バークリー校に編入したのだという。日本でなら、とてもとても有名校になど入れなかったろう。「『成績だけで評価されると厳しかったが経歴を見てくれたのでは』と推測する。」と加えて書いてあった。日本ではおよそ考えられないことに思う。

 ラグビーコーチの何気ない話もSさんの話も、私にとっては今一番気になっていることに結び付く。ぜひみんなで議論したいものだ。