mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

2015年1月3日

2015年1月3日

 新年おめでとうございます。今年も研究センターのご支援をよろしくお願いいたします。

1日から明日まではとくに仕事を急いで考えることがないのを幸いに、書棚の本を何と決めることなく引っ張り出してめくることを繰り返している(「読んでいる」のではなく「眺めている」)。そんなことをしていることで刺激をしてくれるものにぶつかることがよくある。このごろは時間もないからだが、本屋への足はずいぶん遠のいた。古本屋だけは無理に時間をつくっているが。

 今日は、坪内逍遥訳の「新修シェークスピア全集」(中央公論社―昭和8年~10年)を机に重ねた。ほこりがちらちらと舞った。

マクベス」には長い「跋に代えて」がついていた。今まで読んでいなかった。それをちょっと紹介したい。

跋文は、「自分が『マクベス』を手がけたのは、今回で三度目である。」で始まる。まず、この書き出しで驚いた。最初は明治24年、次は大正5年、そして、3回目が昭和9年となるという。

マクベス」を3回も訳を繰り返しておきながら、逍遥は跋文を次のように結ぶ。

  公刊後、自ら心付いた箇處は勿論、讀者中の或人々の好意の指摘もしくは注意に依って知り得た限りの誤りは、少くも、其最も重要な部分だけは、『沙翁復興』の餘白の容す程度で、次ぎ次ぎに正誤表を掲げて貰ふようにしては来たが、勿論、訂正漏れが多いのである。いや、誤訳でない部分とても、二三の或作の如きは、能ふべくば、もう一度、大斧か、大帚かを下して、總體に最終の大掃除をしたいのだがーーせめてもう一段、見場、いや、讀み心地のよい物にしたいのだが、もう迚もさういふ餘生もなく、第三刊を試みようといふ好事な書肆もありさうにない。大斧正なり、大掃除なりは、之を後の篤志家に俟つより外に為方がない。

          昭和九年十月十日   病後静養の床上に於て    訳者

こう書いた翌年の228日に逍遥は亡くなっている。

(仕事をするということはこのようなことなんだなあ)と、ありがたいことに逍遥に自分のいいかげんさを叱咤されたように思った。

逍遥の仕事をちょっぴりのぞき、その心にまで接した、自分としては意味のある2015年の年の初めといえる。