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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

12月5日

2014年12月5日

 あのような人(教師)になりたいと生きる目標のひとりにしてきたKさんが先月末に亡くなったと知らせを受け、いっとき体から力が抜けるようだった。

 中学教師だったKさんを知ったときは、私はすでに中学から小学校に異動し、小学生との生活が楽しくなっていたときだったので再び中学にもどることはなかったが、Kさんの学校の話・授業の話は何度も私をグラグラさせるのだった。

 合宿研究会の後、Mさんと3人でしばらく雑談することがあった。そのとき決めたのが「よみかた東北」誌をつくることだった。当時私たちは「教育国語」の読者であり、Mさん・Kさんと執筆者でもあった。この「教育国語」の読者を東北の地で増やすにはどうするかの話し合いから考えついたものだった。東北の書き手による手に取りやすい冊子をつくることで、その読者が「教育国語」の読者にもなってもらえるのではないかと考えたのだ。

 会を「教科研国語部会・よみかた指導東北研究会」と名付け、Mさんが代表になり、Kさんがその編集の役を受け、「よみかた東北」はスタートすることになった。

Kさんの手になって1号が姿を見せた時は、目の前が急に明るくなったような気がしたことを今でも覚えている。

Kさんは、4号の「編集後記」の最後を、  

 ~村上さんの文法の授業。この中学生たちは勉強するのがうれしくてたまらない。本来学ぶというのは、楽しみなのだ。これが本当の教室だ。どうしたらこうなるのか、根本のところから考える必要がある。この授業の記録は、わずかなものだけれど、無限のものを私たちに教えてくれるにちがいない。▼これは草の根の国語実践交流誌。どうか実践を、研究を、エッセイを、編集までとどけてください。子らのために、少しでもいい仕事をつくっていきましょう。

と結んでいた。

 このときKさんは、「教育国語」の第2期の編集長の仕事もかねるようになっていた。

 多忙なKさんを見かねて「よみかた東北」の編集の仕事を私が引き継ぐことにした。しかし

その力の差は大きく、せっかく希望のある出発をした雑誌を、どんどん痩せ細させていき、ついに休刊

追い込んでしまった。Kさんは何も言わなかったがどんなに残念だったろうか。

 一方、第2期「教育国語」の創刊のことばのなかで、  

  ~実践の記録は、教材をどうみるか、子どもをどうみるかをよりたしかにするし、またそれはサークルに流れる血でもあろう。今、書くことは子どもとともに生きる教師自身の主体をとりもどす、もっともたしかな手段であると考える。~

と書いたKさんを思うと、「教育国語」にかける意気込みも並みならぬものがあったと感じる。

 いくら書いても書ききれない刺激をKさんから受けた私は幸せ者だった。

 今日になるもKさんがなくなったとは思うことができないでいる。