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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

11月7日

2014年11月7日

 義務としての日記であろうと、あまりに間が空き過ぎることを気にしていながら、自分としては予期せぬバクダンを打ちこまれ、その処置でオロオロし、またまたずいぶん間をおいてしまった。

 バクダンを受けながらも、しばらく前から読んでいた吉本隆明梅原猛中沢新一の鼎談記録を読み終え、最近になく満ち足りた思いに浸ることができた。

 この本は20年前のもので、ある雑誌に5回にわたって連載したものをまとめたもの。

3人の話していることのほとんどは私には理解はできない。理解不能でも、3人それぞれの話から受けた大きな収穫は、「『ものを知る』ということは、このように『ものを考える』ことにつながっていくのだ」ということを具体的に私に示してくれた話はこれまでなかったと思ったことだ。私も、よく「考える」という言葉を発するが、そうか、考えるということはこういうことなんだ、知るということはこのような考える力になっていくものなんだと、勝手にわかったふりをして感心したのだ。

梅原さんが、アイヌ神道にふれて、ここでは、「国家主義なんて全然関係がない、森の中で人間が宇宙の精霊と魂たちと共存して生きてその魂の力で自分たちの生活を守り、そして死んでいき、あの世へ行って、また魂がこの世へかえってくる」「沖縄もアイヌと同じ神道であり」「アイヌ・沖縄・本土を結ぶものが『日本的』なものなのだ」と言っていることもまた私にはおもしろかった。アイヌと沖縄をはずすと、きわめて日本的でない日本が大手をふっているように思えたのだ。

3人は、縄文まで遡り、和歌・物語・習俗・仏教もふくめて日本を考える大事さをそれぞれが話していたように思う。

また、それぞれの話には、繰り返し「人間と自然」が取り上げられていたのにも私は強い興味をひかれた。吉本さんは、あとがきで、「鼎談が終わった後に阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が起きたが、もしその後の話し合いであれば、この内容も違ってきていたのではないかと思った」というようなことを書いていたが、私はそのあとがきにひきずられるように、日本の「考える人」たちは3・11後をどう考えているのか、いろいろ知りたいと思った。

 同時に、もう25年になるが、現代美術社の太田弘との生活科の教科書づくりまで思い出させてもらった。この話はそのうち・・・。