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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

10月26日

2014年10月26日

「若い教師の学びの会」の月例会をもっている。参加者は少ないが私はおもしろいので毎回楽しみにしている。その中で、10分程度、私が話す時間をもらっている。時間は短くても、せっかく、夜、疲れているであろうに足を運んでくる若い人にどんなことを話すか、彼らが仕事を考えるために少しでも役に立つものにならなければ失礼になるので何にするか毎回本気で考えている。しかも、借りものをしゃべるのではなく、たとえ古いものであっても、自分の教室・授業の事実をしゃべることに決めている。何十年も前のことで今に役立つもの(自分ではあまり違わないと思っているが)をと思うと、結構選択に迷ってしまう。

その種探しに、休日、古い学級だよりの綴りを引っ張り出してめくってみた。私は、学級だよりは、子どもたちの書いたものを中心にしながら子どもたちの様子を伝え、それを通しながら、自分が何を大事にしているかを伝えることを一番の目的として学級だよりを出していた。

今度、読んでみて、「自分の大事にしていることの伝え方」が、あまりに「教えます」調の匂いがぷんぷんしているのに、20年以上前のことなのにたいへん恥ずかしくなり、自分がとても嫌になってしまった。文が上から目線に感じるのだ。

救いは子どもの文だ。子どもたちの文は今読んでもどれもおもしろく、気持ちがよく、(ああ、この子たちにオレは救われていたんだなあ)と思った。「おもしろい」と言っても自分だけだったりして・・。いや、そんなことはあるまい。

ひとつ例をあげよう。次は、持ちあがり6年生の4月初めに書かれたKの日記。

  今日、学校から帰って来て、すぐにホームセンターに行った。

  なぜかというと、前からほしかったヤスリを買うためだ。ずーっと雨ばっかり降っていたので、なかなか買いに行けなくて、やっと今日、買いに行くことができた。

  そして、ヤスリを買った。それからDJスタジオに行って、セラミックグリスを買って、そのまま帰った。帰ってくる途中、時々ヤスリをながめながら帰った。最後には、持ちながら帰った。もう家が見えるという所にあった信号が赤だった。その時は、すごーく長く感じた。やっと青になった。すぐ家に向かった。

  家について、やっと安心して、けいりょう(ミニ四駆にあなをあけてけずったりして軽くすること)と思ったしゅんかん、「Tくーん!」と、でかい声がした。それは、もちろんSだ。すぐ声でわかってしまった。ぼくも、その声につられて、Tの家に行った。       4月19日   (*名前はもちろん実名で書かれてある。私がイニシアルにした。)

こんな日記が机上にのると、私は心の中で快哉を叫ぶ。もしかすると、こんな子どもや子ども

たちを今探すのはたいへんかもしれないな。とすると、この日記のようなものは「若い教師

の・・・」では使えないことになる。種探しは楽ではないのだ。