mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

9月22日

2014年9月22日

ある教育雑誌の10月号の広告を新聞でみた。それを眺めると各学年ごとの見出しは以下のようになる。 

・1年生「ストレスフリーな授業をしよう」

・2年生「運動好きな子どもを育てよう!!」

・3年生「国語科×読書指導 効果的な授業づくり」

・4年生「授業の腕が上がる! ミニホワイトボード活用術」

・5年生「定番教材をおもしろくする!!」

・6年生「異年齢集団による交流の現状と意義」

何気なく目にしたものだが、すぐ(毎号、編集者もたいへんだなあ)と思うと同時に、教師のニーズを調べてそれに応えようという企画であろうことを想像すると、これらの特集項目から推す現場の様子は私からすると決して明るいものに感じられなかった。

 教室は目の前の子どもたちに合わせて教師が創るものであり、どこからかもってきた型にはめるものではないだろうと思うから。

A・S・ニイルは、「教室から出ていった子どもを追ってはならない。子どもは本来、教室は好きなんだ。教室がおもしろければ帰ってくる」と言っている。この言葉に私が出会ったのは就職して間もなくだった。(なるほど、そうか)と思い、頭から離れることはなくても、私の場合、どの子にとっても楽しい、学びの好きな教室を創ることは至難で、胸張れる教室を思い出すことはできない。

 

 にもかかわらず、たとえば「ミニホワイトボードの活用術」を身につけても、授業の創造には容易に結びつかないように思う。

 この雑誌の企画にクレームをつけているのではない。何よりも優先されなければならないのは、目の前の子どもたちを前にしての教師の創造力。とすると、「ミニホワイトボードの活用」も必要があればその中に組み込まれていくとき、教師を支援してくれるものになるであろうが、まるごとのマネはどうだろうと、他の企画も同様に考えたのである。

 楽しい、学びの教室づくりは容易ではない。しかし、教師ゆえに、創る仕事であることを自分の第1にすえてつづけたい。