2014年9月17日
私は朝日新聞を購読している。
だから、今度の朝日の記事問題はたいへん残念だ。なかでも、池上さんの原稿に朝日批判があるので掲載日に載せなかったという問題はまったく考えられないことであり、長年の購読者のひとりとして今の気持ちを表す言葉がない。もちろん、他の2つについても(どうしてこんなことが・・・)と同様の気持ちをもつ。
だからと言って、朝日の購読を止めるつもりは今のところ私にはない。朝日の自浄作用を期待するし、それができるとまだ信用しているからだ。
他の新聞について周りは意外に寛容に思う。それがなぜかは書く必要はなかろう。
朝日に対する目が厳しいことを朝日はもっともっと誇りに思うべきであり、その誇りを仕事に結びつけることを一時も忘れないでほしい。
私たちは3・11でいろいろ変わるだろうと思った。変わるための代償はあまりに大きかったが、何かが変わることを期待した。3年半経つがその何も私には見えない。でも、他にそれを期待することから始まるのではどうしようもないじゃないかと自分を叱っているのだが・・・。
作家の山崎豊子さんが亡くなった後に、テレビで生前の録画を見る機会があった。そのなかで
山崎さんが「作家にとって、勇気がなかったら死を意味する」と言っていたのを今も忘れない。
朝日が今を切り抜けるのも、大きな勇気を要するだろう。しかし、この勇気なしに朝日は朝日らしくもどらないだろうことは確かではないか。
このことは、3・11についての私(たち)についても同じだなあ、と考える。
3・11については、日をあらためてもう少し考えてみたい。