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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

8月29日

 25日から3日間、北海道を歩いてきた。私用である。といっても、友人と3人で取り組んでいるM校長(故人)についての聴き取り・資料探しである。
 Mさんは、東京高等師範学校を1928年3月卒業、旧制黒沢尻中・古川中・仙台二中に勤めた後、札幌二中(現在の札幌西高)に赴任、校長代理を務める。その間に終戦を迎える。その後、名寄高校に転任、40歳。4年間在任し、深川西高校に3年いる。
 今回はその名寄高校と深川西を訪ね、深川西のT先生のお話をうかがった。
 Mさんは、深川西高から宮城の白石中学の校長として宮城に戻る。この異動はどのような理由によるものかは定かでない。本人の書いたものにも今まだ見当たらない。
 Mさんのことダラダラと並べてきたが、Mさんを少し紹介しなければならない。そうすれば、私たちが北海道まで飛んだ気持ちを知ってもらえるかもしれない。
 Mさんは、白石中で「河童通信」という名の通信を発行した。次は、その4号(1957年5月30日)の書き出しの部分である。
「校長は、校務を掌り・・・、教諭は、生徒の教育を掌る」。これは、学校教育法第8条のことばです。校長が校務を掌るというとき、教諭の人々が、最も教育の効果をあげ易いような環境をつくることはその最も大きい任務でしょう。教育委員会地方公共団体も、文部省も国も、教育の場をよりよくすることが、その大切な任務でしょうし、これらは教育を高めるための、国民の福祉をますためのサービス機関であるはずです。
 ところが、ここ数年来の実態はどうでしょう。教師が教師としての仕事をすすめる上に一番必要なのは、自由の雰囲気ですが、文部省や教育委員会は、学校における、または社会における自由の雰囲気をますために知恵を絞っているでしょうか。
 実際はまったくその反対です。今日の校長は、文部省や教育委員会の趣旨を受けて、安心して教師とともに校務に没頭してはいられません。学校の自由をますために骨折るべき文部省や教育委員会が、反対に自由を奪うために憂身をやつしているとするならば、校長はおのずから防波堤となって教師を守らねばなりません。自ら防波堤となって教師と教育を守るために私も微力をつくしてきました。しかし、外部からの荒波は日に日に高まってきています。(以下略)
このようなMさんの北海道での歩みを聞き、その資料探しの3日間だったのである。