読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

8月13日

2014年8月13日

 広い範囲で暴れた台風は過ぎ去った。今日は、朝から以前の猛暑にもどった。雨で2日も開会式が延びた甲子園の高校野球。ここもいつもの猛暑の中の試合に完全にもどったことだろう。

 テレビでは連日、各地の川の氾濫を映した。いくら科学が進歩しても時代がすすんでも、気象庁の特別警報がだされても、避難をするしか手立てはない。

北上川の傍で育った私の体験した敗戦直後の洪水の様子となんら変わりがない。変わっていると言えば、気象庁の予報が出るようになったくらいか。

 橋のなかった私の部落は、船で行き来をした。渡し船はK君の家の仕事で、当然堤防の外だったから、年に何度も天井近くまで浸水した。私たち子どもたちまで、誰に教えられたわけでもなかったが、川水が引き始めると、パンツ姿で、K君の家の掃除の手伝いをした。手伝いになったか邪魔になったかの記憶は定かでないが。とにかく、引く水に合わせて掃除をしないと後がたいへんなのだ。

 

もうひとつ思い出したことがある。

 40年ぐらい前になろうか。まだ、教職員組合が活発に動いていた時で、宮城教育大学のT先生と一緒に、県北部の教育研究集会に参加したことがあった。

 会場が小学校で、玄関を入ったら、その地域の大きな航空写真が額に入ってかけてあった。それを見ながらT先生、「航空写真はよくわかるなあ。」といたく感心し、「今の川はもちろんはっきりわかるが、それとは別に薄く蛇行している跡が見えないか春日君。あの跡が以前の川の流れで、それが長い間かかって現在の川に落ち着いているんだ。点在する集落と合わせて想像するとおもしろい。航空写真はなかなかいい。」と教えてくれた。しばらく、そこでしゃべりあったのだった。

 現在は堤防が築かれて川の位置は決められてしまったが、それまでの長い時間、人間はそのたびに逃げまくっていたのだろう。

 そのころと比べると現在は、人の住む位置は決まっても、しょせん、自然を相手にどうにもできないことでは何も変わってはいないようだ。

 やっぱり、自然に生かされていることを忘れないようにしなければならない。

「~戦略」などという言葉を耳にすると自然をもおそれぬ響きに体がザワザワしてくる。