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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

7月18日

 3・11をくぐった私たちはそれまでと何かが変わらなかったら、「3・11は何だったのか」ということになると、直後から思いつづけているのだが、それを思わせるものは何も私には感じることがない。3・11を「自然と人間」の問題とことばを置き換えるならば、教育は何をおいても変わらなければならないはずだが、やはり、その様子はまったくない。相変わらず「学力向上」の大合唱であり、「学力テスト」で教師も子どもも振り回されている。これらから産まれるものは何だろうというのだろう・・・。

 

 先日は、川内原発再稼働について安全規制委員会をパスしたというので、3年間の重い鎖が解かれたように、国中はなんとなく全国の原発が今にも一斉に動き出すかのような不穏な様相をみせている。

一方、3年経っても福島は何一つ変わらない。この事実をかかえて、再稼働に向けて動くというのはあまりにひどすぎるじゃないか。宮城でも中間処理施設の場所が決まらず、環境大臣が明日来るとか。何しにくるのか、3か所の候補地住民はこぞって反対している。

 少なくとも、「再稼働問題なし」という時には、最終処理まですべて考えられたうえでのことではないのか、やっていることがまったくわからない。

 前回、石川達三の「人間の壁」の一部をとりあげたが、石川達三は「私の人生案内」の途中の扉に次のような文を置いている。半世紀以上も前にだ。

いくら学問をしても、どうしようもない馬鹿というものがある。しかも教育が普及するにつれて、そういう馬鹿がだんだん多くなった。よほど気をつけないと、その馬鹿が一国の政権を握ったりするようなことも、おこらないとは言えない。

 これには、どっきりした。そして、同時に、石川達三は何をみてこんなことを考えたのだろうとその炯眼に恐れ入ってしまった。この考えは、おそらく石川が「人間の壁」執筆のために教育の徹底取材のなかで生まれたものだろうと思う。

しかし、教育関係者はこれに比する危機感はだれ一人もっていないと思う。

私も、あなたも、あまりに勉強不足ということになりそうだ。