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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

7月8日

 ひょっと、師・宮崎典男のことが浮かんだ。

宮崎は、レッドパージ宮城県の教員を首になった。なぜかは最後まで自分でもわからなかったようだ。私にも理解できないことだ。宮城は首にしても、放っておかない県があった。隣の福島県が採用してくれ、宮崎は土湯小学校で教師に復帰した。

 その土湯での実践をもって、1952年の日教組教研第6回金沢集会に参加した時のことを話してくれたことがあった。そのとき、「人間の壁」のための取材に石川達三が来ていたということも。

それを思い出して、石川達三の「人間の壁」を開いてみた。金沢教研のことが相当詳しく書かれていた。いろんな分科会の様子が相当詳しく書かれている。

宮崎が参加した国語分科会のことも書かれている。

第一分科会・国語教育(芳斎小学校)

作文教育について(福島県代表)

「手紙文の指導について、テキストの中にこういうものがあります。-春男という少年がいなかのおばさんに手紙を出すと仮定して~~(略春日) こうした形式的な文章指導とはまるっきり違った一つの実例を報告したいと思います。~~  」と。

福島県代表は宮崎で、石川は宮崎の報告だけ3ページにわたって報告していた。

石川達三は朝日の連載終了後の34年4月14日、「“人間の壁”を終って」を書いてい

る。その最初の部分はこうだ。

   教育問題は私にとって未知の世界だった。幸いに閑があったので、書きはじめる前の約8ヵ月を、そのための勉強に費やした。・・・現在の日本の社会が直面している種々な問題が、ある意味ではすべて教育問題のなかに集約されていると言えるかと思う。教育問題が容易に解決しないのは、日本の政治と社会とが完全に2つに分裂している、そういう現実の反映であった。私自身、この作品によって、何ものをも解決してはいない。ただ、問題につき当り、この問題の輪郭を描いてみたに過ぎなかった。

そして石川は、最後を

   結局私は、いわゆる(自由な立場の作家)の自由さから、自分をはっきり規定する一つの立場を取らざるを得なくなった。私は自分の気持ちの底の方にあった反保守党的なものを、自分の表面に引き出して、はっきりと自分の旗じるしを決定することになった。その意味において、「人間の壁」は私を拘束する。私は朝日新聞の数百万の読者を裏切ることは出来ない。この作品は私の公約である。

と結んでいる。私の教師生活2年目にあたる。師・宮崎の思い出が石川達三の長い抜書

きで終わることになった。尻切れだが止めておく。