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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

6月26日

 集団的自衛権についてのニュースを聞くたび・見るたびに情けなくなってしまう。これまでになく多くの人がこれまでになくその危うさを叫んでいるが、国会の動きはどこ吹く風にしか見えない。しかも、国の在り方を大きく変えようとする事案が与党を組む公明党の動きだけが問題のように報じられ、その他の政党や議員の動きはまるっきりわからない。これだけの重要事を前にできる動きは何もないというのだろうか。もし、何もしない・できないというならば、同じ穴のムジナとしか言いようがない。そういう私などもまた同様なのだが。「戦争体験者が少なくなったから」「想像力の弱さ」などとその理由をいくら探し合ってもそんなのは今なんの役にもたたない。  田村隆一の「新年の手紙」という詩がある。長いので、やってはいけないことを承知で、都合のいいところの食いちぎりで一部を抜き出してみる。

  ナチスドイツがポーランドに侵入した夜/ニューヨークの52番街の安酒場のバーで/ドライ・マルチェを飲みながら/オーデンがひそかに書いた「手紙」がぼくらの手もとにとどいたときは/ぼくらの国はすっかり灰になってしまっていて/政治的な「正しきものら」のメッセージに占領されてしまったのさ/30年代のヨーロッパの「正しきものら」は深い沈黙のなかにあったのに/ぼくらの国の近代は/おびただしい「メッセージ」の変容の歴史 顔を変えて登場する/自己絶対化の「正しきものら」には事欠かない/ぼくらには散在しているアイロニックな光りが見えないものだから/「メッセージの真の意味がつかめないのです/

 詩の中で使っている「『正しきものら』の『メッセージ』」は、オーデンが自身の詩で使っていることばを田村が使っているのだ。    私の詩の読みはまったく違っているかもしれないが、この詩を読んだとき、オーデンも使い、田村もくりかえし取り上げている「政治的な『正しきものら』」「自己絶対化の『正しきものら』」が、誇るべき「9条」をもちながら、一方で「積極的平和主義」などと言うかたわら、集団的自衛権をなりふりかまわず成立させ、戦争への道を走ろうとしている安倍政権とまったく一つに見えるのだ。  集団的自衛権を成立させることは、わたしたちが、田村の言う「政治的な『正しきものら』のメッセージに占領され」ること。そうさせてなるものか。   集団的自衛権を通すことは、70年も戦争をしないで守りつづけた国の誇りを捨てること。私たちが世界に誇るべきものを捨てること。世界の国々から何で信用を得られるというのだろう。何が何でも9条を守りつづけたい。