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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

6月15日

 13日の事務局会議の議題のひとつは、3年目につづく「子どもフォーラム」についてだった。担当のSさんの提案したテーマは、「放課後の過ごし方」。 「今、子どもたちのなかで『放課後』という言葉は使われているんだろうか、われわれのころは放課後はそのまま遊びと一緒だった」との発言があって、その場に笑いが起こった。  話し手の言いたいことと、他の参加者の今の子どもたちの現実に対する同じ思いが笑いを誘ったのだろう。  「放課後=遊び」は夢のような話にしか聞こえない今どきの子どもたちにとっては、想像すら難しく笑いの意味はまったく通じないだろう。
 笑いながら私に2つのことが浮かんだ。  1つは、学校をやめた年の5月の夕方、路上で偶然、最後のクラスの遊びの名人ワタちゃんに出会った。5年生になっている。カバンを背負い、歩き方は軽やかではなく、私のなかのあのワタちゃんではなかった。聞くと、とても言いにくそうに「英語の塾に行く」と言う。そうか、ワタちゃんもとうとう塾かと思い、「元気にな!」と言って別れたその時のことが急に思い出されたのだ。  もう1つは、大木実の詩「ふるさと」が浮かんだのだ。
   ふるさと
桑畑の向うにとなりの家がある 日のくれ 煙があがり燈火がつく
縁の雨戸を繰りながら 「おうい」と大きな声で呼ぶ しばらくして「おうい」と返事がある 「あしたまた遊ぼうや」 「遊ぼうや」 その家に 宋ちゃんという友だちがいた――
山はくれ 鳥屋のとりたちもねてしまった そしてせせらぎの聞こえるあたり 今夜も星が美しい
 私にも宋ちゃんがいた。道路向かいのMちゃんだ。Mちゃんの家の裏窓から漏れる明かりに明日を思いながら毎日雨戸を閉めていたムカシのことを・・・。