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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

5月16日

 いま、センターつうしん75号別冊の内容を考えつづけている。「こども・教育・文化」と名づけたうすっぺらな別冊だが、この中で、現場の方に読んでもらいたいと常に思っているひとつは子どもの姿を具体的に書いた文である。だから、そんな文を探すのに懸命になる。 私は現場を離れてもしばらくの間サークルに参加していた。その頃は、まだ子どもの話を聞くことができた。それが何よりも楽しかった。サークルではもちろん授業の報告が中心になるのだが、それも話が教師中心になり過ぎ子どもの姿がかすんでいる報告になると聞いていて少し寂しい感じがしてくるのだった。  比較的現場に近いはずのセンターにいるのだが、年々子どもの生き生きした話を聞く機会が少なくなっているように思う。もし、私に聞こえないだけならばまだいいが、本当に教師の間で語られることが少なくなっているとすれば、子どもにとって、とても不幸なことに思う。  今度、そのために、紹介しようと決めたひとつは、すばる教育研究所の機関誌「教育すばる」1号(1977年9月)に掲載された宮崎典男さんの「児童像」である。  宮崎さんは、

   うしにくれるくさをとりにきました。     わたしのうちにはうしのこがいます

    だからちいさいくさしかたべません               たなべてるこ

この詩(*宮崎さんは「わたしは、これを詩とよびました。これが詩であるかどうかという議論は私には不要です」と書いている)を冒頭に出して、テル子について(その他の子どもも登場)長い報告を書いている。それが「児童像」という文である。  テル子の、このような文を教師にどのように読んでもらえるか、ことばが過ぎるかもしれないが子どもにとって幸不幸を分けることになる。

 天性のものもあるだろうが、多くは教師がその仕事のなかで身につけていくものだろう。とすればどうすればいいのか、この手のことはあまり取り上げられて議論されることはないが教師の大きな大きな課題ではないかと思う。