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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

5月11日

 テレビ番組で武雄市の公立学校と塾の提携をとりあげているのを観た。このことはこれからもいろんな取り上げられ方をするのだろう。  市長や教育長、そして塾の経営者がそれぞれその意図と期待を話し、後押ししたという民間校長で話題をまいた方も「現在の制度も特区になることをしなくてもできる方法なので」とやはり期待を話していた。    テレビを観ながら、学校、ことさら公立学校は子どものためにどうあればいいのかということを終始考えさせられた。  授業の様子を観るかぎり、テストの数値を至上にする狭い学力向上観に支配されている現在の流れにのったものとしか私には映らなかったのでその試みには疑問が大きかった。  しかも、市のすべての教師が塾のノーハウを伝授されてどこの学校も同じように動いていくのだろうかと想像すると、明るい気分になることはできなかった。

 昨日のサークルに来た新任教師のAさんが、「毎日、学校を出るのは8時をすぎます。テストのマルつけは眠い目をこすりながら家でやります」と言っていた。それを聞きながら、自分の新任時代を思い出した。勤務時間がきちんとしていたから、下宿の家族と一緒に夕食がとれた。1年目などは部屋にもどると、ほとんどそのまま倒れるように寝てしまう毎日、授業の準備は早起きしてという繰り返しだった。  帰りの時間の遅いAさんたちは朝起きることも辛いだろうから、どこで深呼吸をしているのだろう・・・。深呼吸の時間が教師に不要ということはない。教師本人が気づかなくても、それこそ子どものマイナスとして大きく跳ね返っていることはまちがいない。

 公教育を本当に子どものためによいものにするのは、塾との提携よりも何よりも、教師を幾重にも取り巻いている枷をはがすことではないか。50年代の実践記録は、教師にとって自由な時間が保障され、その創造性が期待されることがよい仕事のためにどんなに大事かを見事に語っている(もちろんその後も多くのすぐれた実践があるが・・)。その事実こそ考えてみたいものだ。