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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

4月28日

 義兄の病気見舞いに行く途中、天気がよいので晩翠通りを歩いた。かつてこの通りに面して小さいT旅館があり、ここで生活科教科書編集会議を週1回のわりでほぼ2年間お世話になった。

日曜日の午前から一日中部屋に閉じこもり、議論をつづけて夕方解散し、たまには土日の合宿も入るというわれわれを、旅館の人たちはどう見ていたのだろう・・。  教科書が完成してすぐ、「こんなものを作っていたのでした」と旅館宛にその教科書を送ったことを思い出した。  いまは、その木造2階建ての旅館の姿はなく、有限会社Tの名でコンクリート6階建てになっていた。私たちの教科書は採択が少なく、あっという間に撤退せざるをえなかったが、T旅館もすっかり様相を変えてしまっていたというわけだ。周りの建物も変わっていた。「もともとのことを考える」を基本テーマにし、「どうしてそうなの」「ほんとうはどうなの」と表紙に刻んでねらいを書名に表した私たちの教科書は木造建ての家と同じだったということかもしれない。もちろん、教科書が姿を消して10数年にもなるが、私の心の中にはいまだに(木造の何が悪い!)という気持ちは強くある。

1988年から編集会議が始まり、初期の頃は会場は別だったが、翌年からT旅館に場所を変えて最後まで都合70回ぐらいつづいたのだった。

   生活科新設が決定した直後の宮城民教連冬の学習会の夜、現代美術社の太田弘さんと2人でいつものように深夜まで雑談をしているなかで、太田さんが「生活科の教科書を宮城の力で作りたいが・・」と言いだしたことに教科書作りは始まった。私はどんな仕事になるかまるっきり想像できないまま、安請け合いをしてしまったのだが。

   でも、この仕事に夢中になった2年半は私の教師生活の生き直しになった。いま振り返って、少しは教師としての仕事を気持ちよく思い出せるのは、この教科書作りに参加した後の教室での仕事があったからだと、今になるも太田さんには感謝している。  太田さんと会うことがなくなって久しいが、T旅館の姿が見えなくなったのも人と重なってなんともさびしい。