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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

4月18日

 武雄市が塾のノーハウを取り入れた「官民一体型」の小学校をスタートさせるというニュースを耳にした。

 塾が悪いと言いたいのではないが、違和感を覚えた。もしかすると報道だけではわからない深いわけがあるのかもしれないが、私には、学力テストに備えての学力向上策としか思えなかった。そして、ついにここまできたか、と。

 「学力向上に力を入れることは何が悪い! 子どものためではないか!」と、そちこちからのお叱りの声も聞こえる。そう、いま、教育行政はことあるたびに「学力向上」の大合唱なのだから。

毎年、国のテストがあるかと思うと、なんと、県のテスト、市のテストと広がりつづける。テスト体制を築いている人たちは、本気で子どもたちのためと思っているのだろうか。ウソ発見器でも使ってそれらの人たちの本音を聞いてみたい。

 エスカレートしていっている、ひとつの姿が武雄市の試みなのだろうと推測するが、これから、もっと激しいものが、これも競り合って出てくるのだろう、何が出てくるかわからないが・・・。

 石川達三50年近く前に出した、主として自著の中の言葉を集めた本がある。その中に、

いくら学問をしても、どうしようもない馬鹿というものがある。しかも教育が普及するにつれて、そういう馬鹿がだんだん多くなった。よほど気をつけないと、その馬鹿が一国の政権を握ったりするようなことも、おこらないとは言えない。

と書いてあった。半世紀前に今を予測していたように思いドキッとした。  石川達三の頭のなかに描く「教育」の像は今とはまるっきり違うものなのに、それとはどんどんかけ離れて行くことを危惧して書いたものだろう。彼は別の個所に、

   クラスの中の優等生と劣等生とを区別することは、教育と何の関係もありはしない。学習に必要な明るい生活と楽しい環境とをあたえ、学ぶことの喜びを知らせてやることが第1の条件である。

と書いている。「人間の壁」にあるのだ。

石川の描く「教育」像はもう古くて子どもの幸せにつながらないものなのだろうか。