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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

3月17日

 いかに“つぶやき”とついても「日記」をこれほど休んでは日記の名が泣く。昨日まで3日間、石巻に聴き取りに通ったこともあったなどいくつかの仕事が重なったことを言いわけにさせてもらって・・・。

 昨日は石巻聴き取りの最終日。午前、仮設自治会のYさん、午後、女川のMさんたちの話を聞くことができた。

 Mさんはあの日から自分自身がどのように生きてきたかをたいへん具体的に話してくださった。縁者の犠牲者も出し、ノートに書き込んだ知人の犠牲者は120人にも及んだというが、Mさんは決してそこに立ち止まらなかった。その時その時、多くの被災者のために自分に何ができるかを考え、驚くほど動きまわった。いや、被災者のためだけではない。もっと多くの人のためにだ。

 Mさんの話を聞きながら、“センセイ”と呼ばれつづけて半世紀以上も生きておりこれからも同じように生きるであろう自分のことが、なぜか浮かんできた。なぜ、“センセイ”と呼ばれつづける自分が浮かんだか不思議な感もするが、どんなに時間が経っても体から剥がれぬあの日のことをいくつも背負いながらつねに前向きな生き方をするMさんを前にして、今でも“センセイ”と呼ばれつづけている自分がやたら恥ずかしくなったのだ。もちろん、センセイと呼ばれる人がみな私と同じと言っているのではない。でも、多くの“センセイ”も大きな違いはないように思うが・・・。

 私が恥ずかしくなったのは、“センセイ”と呼ばれて生きているうちに、動きの範囲が狭まっているのに気がつかず、気にもせず生きている自分にハッとなったのだ。センセイ仲間を次々と浮かべてみた。残念ながらMさんの動きには誰もかなわない。これは、何も震災について限ったことではない、何事においても比較にならないと思えたのだ。

 多くのセンセイに叱られるだろうことも承知で言っている。しかも、“センセイ”という呼称の問題ではないだろう、とも言われることも。でも、(この違いはなんだろう)と反芻してみると、“センセイ”に行ってしまう。まあ、止めよう。

 それにしても、Mさんのような人がいるという事実、その方の生き方をじかに聞くことができたことを、私に残る時間が少ないとはいえ、たいへん刺激的で幸せに思った。どんなことをしても“センセイ”の名は体から剥げることはなかろう。それを仕方のないこととして、呼ばれることがいけないなどと言わずにMさんに少しでも近づく生き方をしたいとひそかに思った。