先日、吉野弘さんが、今度はまどみちおさんが104歳で亡くなられた。お2人の詩には在職中、数えきれないほどお世話になった。高学年担任になると、いつの頃からか、「菜々子に」は学年末子どもたちと必ず一緒に読むようになった。中学年を受け持つと、まどさんの詩は「おならはえらい」などずいぶん教材にさせていただいた。
坂田寛夫に『まどさん』という本がある。その中で坂田が、まどさんに、「ぞうさん」をつくったときのことを知りたくてしつこく迫り、その時まどさんがこたえたメモというのが入っている。(あの詩ができたのは昭和23年。坂田は、その頃から「まどさんが長男と動物園に行ったのだ」と想像し、それを確かめるためにまどさんに食いついたのだ。)
私は象を書くために動物園へ見に行くようなことはしません。
童謡はどんな受け取り方をされてもいいのだが、その歌がうけとってもらいたがっているようにうけとってほしい。
たぶんこういうふうにうけとってもらいたがってる、というのはあります。
詩人の吉野弘さんの解釈が、それに一番近かった。吉野さんは、「お鼻が長いのね」を、悪口として言ってるように解釈されています。
私のはもっと積極的で、ゾウがそれを「わるくち」と受けとるのが当然、という考えです。
もし世界にゾウがたったひとりでいて、お前は片輪だと言われたらしょげたでしょう。
でも、一番好きなかあさんも長いのよと誇りを持って言えるのは、ゾウがゾウとして生かされていることがすばらしいと思ってるから。
このメモの紹介のあとに坂田は、「自分が自分に生まれてすばらしい、ということをテーマとしている詩が自分の作品には多い、とまどさんは言った」と書いている。
お2人のたくさんの詩はもちろんいつまでも残るが、まどさんにも、まだまだ生きていてほしかった。そして、「自分が自分に生まれてよかった」という詩をいつまでも書きつづけてほしかった。