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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

2月21日

 18日、K高校に授業をみせてもらいに行った。2度目である。この日の授業は、前回の授業後の話し合いから出発、Tさんが中心になり工夫し創り出したものと言ってまちがいない。まさにTさんたちによる“授業の創造”を見せていただいたのである。

 授業は、絵本「百万回生きたねこ」(佐野洋子さく)を教材に、1時間のなかで作品の同じ部分を、前半Tさんが国語の時間として読み、後半を同僚のSさんが英語の時間として英訳の授業としたもの。  1時間を“国語と英語で”という発想は私にとってたいへん新鮮であり驚きであった。  「グローバル化」(どこでも誰にもよく使われるが私には未だによくわからない言葉だ)の今、英語教育はきわめて重要ゆえに、小学校高学年に入れた英語はさらに中学年まで下がってくるらしい。母語がきちんと身についていないときに、「早いうちから英語に親しませる」ということでよいものだろうかと、英語音痴の私は大きな疑問をもつ。

Tさんたちの試みは、高校生に、母語で書かれた物語を国語として読み、そのうえで同じ個所を英文にするという、2つの言語を1時間で扱ったのである。生徒は、後半部の英語に入っても特別違和感なく、前半の延長上できわめてスムーズに授業はすすんだ。

後半は、英語という言語の特徴が自然の状態で授業者Sさんも生徒も大事にしていく。それ以前に日本語の特徴は既に確認されているから、なおさら英訳の際のポイントは明確になったように思った。

 

今、「学力向上」がペーパーテストの結果の数字で一喜一憂され、教師にとっても生徒にとっても、それが教育という名での仕事のすべてになっているかのようななかで、そこを乗り越えるTさんたちが試みの意義は非常に大きいと私は思った。

この試みは国語と英語にのみ可能なのではないと思う。教育現場に、このような創造的な試みがどんどんなされていくとき、テスト至上主義の教育を越える確かな学びの力が生徒についていくのではないか。

 

きちんと決められたタイムテーブルに沿って動かざるを得ない学校のシステムのなかで、非常に難しい試みにちがいない。でも、生徒のためにその壁を乗り越え創ろうとする教師たちの姿に大きな希望に胸膨らむ思いで学校をあとにした。