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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

1月7日

 新年おめでとうございます。今年も、「みやぎ教育文化研究センター」へのご支援と私のつたない日記への叱咤とを合わせてよろしくお願いいたします。

 去年の暮れのサークルが終わった後に「休みに入るときに子どもからこんな手紙をもらったのです。国語をちゃんとやっていないから、こんな書き出しで」と、Mさんから手紙を見せてもらった。次のような手紙だ。

  雪が元気な子のように勇気強くふる日がたまにある今年です。M先生は思い出がありますか。ぼくはあります。それは、いつも、みんなで支え合う事ができたという事です。それがぼくの思い出です。

  そのような心をぼくも持ちたいと思います。

  今年度はどうもありがとうございました。

  来年度もどうぞよろしくお願いいたします。

               平成25年12月20日 金曜日

                         T・B

                                                                                                                                             

 Mさんが「国語をちゃんとやっていないから」と言ったのは最初の1文だ。

 4年生の差し出し人は自分の名前をきちんと書いている。T・Bなどとイニシアルにするのは残念だし、本人にたいへん申しわけなく思う。私がイニシアルにしたことを特別そう思うのは、最初の1文に込めただろうT君の強い思いが去来するからだ。

 手紙を勝手に推理してみる。T君は、M先生との4年生のこれまでが本当に楽しかった。それはM先生のおかげだ。それをどうしてもM先生に伝えて今年を終わりたい。そう考えたT君は手紙を書こうと考える。

「みんなで支え合うことができた思い出」をつくってくれた敬愛するM先生にどう書けばよいか。手紙文は最初に時候のあいさつで始めるようだ。そのあいさつをよいものにしなければならない。そういえば今年1回だけいきなり雪が降ったことがあったな。「雪が強くふる日がたまにある今年です」。これでは当たり前すぎる。そうだ、「元気な子のようにふる」。それでも足りない。うん、「勇気」も使おう・・・なんて、最初の文はつくられていったのではないだろうか。

大好きな先生へのお礼の手紙でなければこのような書き方をしなかったはずだ。国語をちゃんとやっているいないはまったく関係ない、なんともうらやましい手紙だ。

まるっきりの蛇足だが、2期制というのは、切りがよくないので、こんなときとても具合がよくないということがわかった。T君もだったのではないだろうか。3期制であれば、たとえば、「3学期もよろしく」と書け、その方が、先生とぐっと距離は近いのだから。