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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

12月25日

 今年度最後になる第4回戦後教育実践書を読む会は、1月18日(土)1時半~。

年があらたまって間もなくになるので、少々早いように思われるかもしれないが、この会へのご招待をしておきたいと思う。なぜなら、少しでも多くの方と予定のテキストを読んで話し合いたいので。

 テキストは「おくれた子どもの生活指導」(近藤益雄著 1955年)。本書は次のように始まる。

     あたま

  おとなしくうなだれているので/バリカンでかみ毛をかれば/いじらしくも まるいあたま

  秋の日の つめたい水を/さんさんとそそいで あらって やれば/あいらしく かがやく あたま

  だが/五ほんのゆびを ひろげて/数をたずねると/十といい 二十という

  たけいちよ

  いつの日にか/五ほんのゆびを 五といい/十ぽんのゆびを 十といえるようになるのか

  この あたまの/ほのかなぬくみさえ/おれの てのひらに/つたわってくるのに

  たけいちよ こんな子どもたち。こんなに ちえのおくれた子どもたちと、あけくれ、生活を共にし、生活指導などをして、私はそのむずかしさに、ほとほと疲れてさえきたようです。

 しかし、こんな子どもたちにも、その生活はたいせつです。人間として、恥ずかしくないようにそだてなくてはならないことは、どの子どもだって、おなじことなのです。それなのに、道徳教育とか、修身科をむかしのように、生きかえらす論議とか、なかなかにぎやかな教育のながれのかげに、この子どもたちの教育、わけてもその人間つくりの本質的なしごとは、あまりかえりみられてはおりません。(中略)私は、ちえのおくれた子どもが、もう少しこの社会の人々から、たいせつにされることをねがい、また、この子どもたちが、その愛情をうけるに値するような人間になってくれることをねがって、この本のなかみをかきました。(後略)。

 引用が長くなった。著者近藤さんという教師が少しでも伝わればとの思いがそうしてしまった。この本は「おくれた子ども」とどう暮らしたかを書いているが、そこから読む者の学ぶことは教師は何を大事にしなければならないかである。もっとも、近藤さんは、そんなことの講釈は少しもたれていない。あくまでも謙虚に自分と子どもたちとの事実をたんたんと書いている。それだけに読む者の刺激が強いように思う。