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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

12月17日

 「戦後教育実践書を読む会」を始めて今年3年目になる。参加者が少なく、やっとつないでいる体だが、この会をセンターの仕事としてそう軽いものとは思っていない。

 今年の第2回目に取り上げたテキストは『川口港から外港へ』(鈴木正気著)だった。

現在はどうか知らないが、「地域に根ざす」教材づくりはさかんに言われたが、当時を振り返ってみるとそう簡単な取り組みではなかった。たくさんの人が四苦八苦したはずだ。

 それだけに鈴木さんのこの報告には驚かされた。鈴木さんのもつ教師としてのすぐれたセンス、そして並みでない努力が見事に結実したという表現は間違っていないように思う。

 『川口港から外港へ』は地域に根ざす教育実践の非常に質の高いモデルとも言えよう。

 まず何よりも、50年代の実践書同様に、子どもたちの文がたくさん取り上げられており、その内容が、半世紀近く経っているのに読む者に授業をありありと想像させてくれる。教室が浮かぶだけでなくて、その学習を通して、漁業にかかわる地域の人々やそれぞれの親や家族もまた学習者になり指導者になっていっていることがよくわかる。

 彼らの学習は5年生で終わらず、中学1年になり「さらに深めたい」とふくらんでいく。教師稼業で言えば、こんなうれしいことはないではないか。

 彼等は中1になり、たとえば、次のようなことを言っている。

「教科書をやらなかったので今こまることはない。1つのことから1つのことを知るのではなく、1つのことから5つのことを知るという力がついてくる。」「他の学校からきた人は、教科書に出ていることなんか要領よくつかむんですよ。だけど、今度、教科書にない自分の頭で考えるとなると、いいことが出てこないんですよ。ぼくらは教科書に出てこないことがよくわかるんですよ。」

などと。私がこんなことを言われたら飛び上って喜ぶだろう。こんな力をつけたいと願いつづけたのだから。でも、「学力向上大合唱」の今はこのような生徒はどこでも喜ばれるどころか苦い顔をされるのだろうか。

 世の流れに棹さすのではなく、本当につけるべき力はどんなものなのか考えたいものだ。