ここ連日、所員Kさんは高校への電話依頼をつづけている。高校生の公開授業への参加生徒をつくる依頼だ。
センターの数ある行事のなかでももっとも困難な仕事だ。何しろ「公募」とうたっていながら、生徒が容易にのってこないからだ。
Kさんは、今年は例年にも増して動きが鈍いという。
そういえば、毎年、何人かの高校生は直接「ポスターを校内で見た」とか「チラシをもらったので」とかと直接電話をかけてきていたのだ。それが今年はまだ1件もない。
この公開授業で、何人でもいい、参加者の生徒の中に「学びのジケン」を起こしたいということを願っている私たちとしては、40人定員としていながら、定員オーバーすることまで願っている。Kさんが必死なのは、年1回のこの企画を多くの高校生のものにしたいからなのだ。
反応が少ないのはなぜなのだろう。
「宮澤賢治大好き」は結構いると思うが、賢治研究者による「水仙月の四日」の授業をのぞく気をどうして起こさないのか。
「賢治大好き」は今の生徒には少ないのか。まさか、教科書の賢治作品しか知らない生徒が多いなどということはあるまいに。
それとも、国策とも言える「学力向上運動」の成果が年を追って徹底向上してきている結果なのだろうか。
私の高校時代を思い出してみても、いろんな場で学びを刺激するジケンはあった。たとえば、そっと抜け出して(?)観た黒沢の「生きる」も私にとってはジケンだった。ブランコをこぎながら「イノチミジカシ~」とうたっている志村喬のシーンは何年経っても変わらず鮮やかだ。新制作座・真山美保の「泥かぶら」も同じだ。
いま、この日記を書いているとき電話が入り、2名参加の電話をKさんが受けた。残る半月、どのくらい増えるか、電話・ファクスにドキドキの毎日がつづく。