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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

12月8日

 6日に、久しぶりに授業をみに出かけた。前日、Mさんから「授業をみに来てほしい」との電話があり、会議などが入っていないことを幸いに行くことを約束した。授業をみせてもらうのは3年ぶり、サークル仲間のRさんの卒業授業以来だ。

 1年生。「おとうとねずみ チロ」の読み取りの授業。Mさんの授業はずいぶん前に一度みせてもらったことがある。

授業が始まってすぐ、とんでもなく成長している教師Mさんに驚いた。Mさんたちのサークルは「授業」を第一にして、授業のためにはどんなことがあっても集まり、教材研究・授業検討会をつづけている。Mさんはこのサークルの「授業」へのひたむきな姿勢のなかで伸びていったにちがいない。

 1年生の子どもたちはよく話したがった。競って手を上げしゃべった。それでいて、友だちが話している時は、話し手の方を向いて黙って聞いていた。よくこんな子どもたちにしたなあと驚いたひとつはこのことだ。また、話の仕方は“ウサギのうんこのよう”ではない。「~というのは」とか「~というと」などと、自分の言いたいことを伝えるのに、文を取り上げたり、友だちの発言に関わらせて話すのだ。それが1年生でとてもしぜんな形でできるのだ。

「チロは、そとへとびだしていきました」の読みについては事後の検討会でいろいろ議論になったところだが、子どもらの発言がつづくなかにMさんは、「スピードはどうですか」とか「前の文を入れて言える?」などとさりげなく入っていく。そのタイミングがなんとも絶妙なのだ。

授業の最後を締めくくるための質問をした。6・7人の手が上がったのだが、Mさんは、その問いをすぐ取り下げてしまった。この個所には授業案に目を通した時疑問をもったところだったが、Mさんの潔さにもびっくりしてしまった。もしかすると、ここで子どもたちがいい答えを出せばうれしくなる問いだが、教師がよく深入りして足がぬけなくなる問いだ。ほとんどの場合“ヨイ子たち”が空中戦に夢中になり、文から離れてしまう。私は辞めるまでその泥沼に入りつづけ失敗を数えきれぬほど繰り返したものだ。

 検討会でMさんは、「手を上げたのは読める子たちだけだったから」と言っていた。Mさんのその言葉を聞いて、このような教師との授業だから、どの子たちも張り切れるのだと思った。

まだまだ驚き感心させられたことがたくさんあった。

授業の案内を受けて本当によかった。検討会が終わって帰る時には急に気温が下がってきたが、教室の温かさはそのまま残っていて、いい気分で帰路についた。