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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

11月25日

 どうしてこうも「学力テスト」にこだわるのだろうか、関係する報道の何一つ、私を(なるほど)と思わせるものはない。

 特定秘密保護法は、何を秘密とするのかさっぱりつかめず、戦前回帰の心配がふくれ、一方、この「学力テスト」は取り上げられるたびに、目的とうたっている検査とはおよそ無関係の「公表」の方向に走っている。

 都道府県の順位を公表、それは市町村の順位に広がり、最後は市町村ごとの学校順位になるのだろうか。いや、複数学級の学校はクラス順位まで?

 1961年に強行された文部省の全国一斉学力テストについて、「教育学辞典」(労働旬報社)は、「『学力とは学習指導要領に示された内容・目標・程度の到達度をいう』との考え方を前提としていた。これによって学力水準を比較することは、その後の学習指導要領の法的拘束力の強化と相まって、教育内容の国家基準化とともに学力競争の激化を招いた。」と書いている。

 今、毎年つづける学力テストによって、何がどうわかったのかなどは私にはよく伝わらない。

 福田誠治(都留文科大学)さんは、私たちのセンターでの講演で、「なぜOECDが学力調査をしたか。これは、先進国が将来生き延びるためには、答えを覚えるような勉強をしていてはだめだと考えたから」と言った。(講演をまとめた「いま、フィンランドの教育から学ぶものは何か」は27日にブックレットとして出る)。

 福田さんは、「教育をテストの点数という成果に限定して競争させるか、それとも長い目でみて、一人ひとりが人間に育つようにできるだけ多くの愛情と金と努力を傾けられる社会をつくるかと二つの道のどちらを選択するかだ」とも言っていた。

 あなたは子どものためにどの道を選びますか・・・本気になって議論したいものです。