mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

11月20日

 2・3日前の河北新報県内版に、「先生、お酒くらいきちんと飲もうよ!」という、目立つ白抜きの1行縦見出しの記事があった。長いので最初は「先生、お酒くらい飲もうよ!」と読んでしまったから、(へえ~ 今どきの流れとは逆行する、おもしろい見出しだ。なかなか味なことを、なんでも取り締まる世の中でやるじゃない!)と思ってうれしくなった。しかも、ゴシックの横見出しは「教職員規定集」、そして、もう1つの縦見出しは「仙台市教委 不祥事続き1年後に改訂」となっている。そこで、「きちんと」を抜いて読んでいることに気づいたが、瞬時に刷り込まれた思いがあるし、「きちんと」は、「過不足なく」とか「正確に」という意味だろうと思うので、そのまま喜んで本文に目をやった。

 ところが本文は「仙台市教委は、全教職員に携帯を義務付けた規定集『スクール・コンプライアンス・シート』を改訂した。『節度ある飲酒』などの項目を追記し、・・」と始まり、ここまで読んで、私の心地よい酔いは一気に醒めてしまった。

 私が(今どき!)と大いに喜んだ見出しは「節度ある飲酒を」ということだったのだ。しかも、携帯が義務付けられているということは、飲み屋に行くにもはずせない。ああ、天と地の違いである。

 飲酒による不祥事を擁護して言っているのではない。

 ずいぶん前の話だが、友人が徘徊癖のある親の上着に住所氏名を書いた札を縫いつけたが、そのたびにはぎ取って出て行ったと言っていたことを思い出した。

 規定集携帯義務と言ってもこの名札の例とは違い、ポケットの中とは思うが、それでもいい気分はしない。

 いろいろな問題をかかえるクラスを受け持っても、信用しないところからの出発は少しもいい結果をもたらさないと私は思いつづけた。

 このごろ、道を歩いても乗物に乗っても“親切すぎる”ものが多すぎる。天気予報までそうだ、「折りたたみの傘をもったほうがいい」などと。そのうち、だれも空を見なくなるのではないか。

 教師へのかまい過ぎは子どもにまで及ぶから、親切もほどほどにと思う。