読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

9月23日

 3連休の中日は墓参りに行く。今はバスで10数分の寺に墓地を移したからだが、それまでの墓参は車に乗らない私にとっては宮城県内であっても1日がかりだった。

 田舎の墓は、部落を眼下にする山の頂上にあり、墓地からは登米郡(現在の登米市)が広く見渡せる。その墓までの道は、歩くからミチと呼んでいたが、石がごろごろで足元を絶えず見ないことには歩けない。

 私の学生時代までは土葬であり、墓石も代々碑ではなかった。今になるも、墓についての強烈な記憶は小学生だった終戦まで。60数戸の部落だが、墓地に間置かず白い旗が立ち、それが新しい墓石に変わっていった光景だ。1軒の墓地に2本も3本も立ち、石の横に刻んである年齢がみな20歳前後だった。盆の14日は部落の人が集まり、誰もが、新しい墓石や真新しい旗の前に立ち、誰も何も口にすることはなくただ手を合わせていた。

小学生の私は墓石が増えるたびにそれを探して年齢を確かめてあるいたものだった。

 父の死んだ直後の本家の叔父の葬儀には、別家として、中学生の私も棺桶をかつがなければならなかった。白装束に草鞋を履き、大人に混じって、足場のよくない坂道を棺桶の棒を肩によろよろとのぼる。傍で声をかけられるから必死に歩を運ばざるを得ない。肩の痛みはしばらく残ったが、あの時、なんとなく大人に一歩近づいたような気になった。

 今は、田舎も火葬になり代々碑になり、墓地も一山越した寺の墓地に移り、部落の人々は山に行くことはなくなっている。

 山にある時に仙台に墓を移したのだが、仙台の墓参りは、たくさん並んでいる墓石の間を縫うように自分の家の墓地に真っ直ぐ行き、そのまま真っ直ぐに帰ってくる。田舎の墓参りのように線香をもって墓地を巡り、(ああ、誰さんたちはもう来たんだ。今年は負けたなあ)など思うことなどはまったくない。当たり前ではあるのだろうが、なんとなく寂しい感じになる。