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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

9月18日

 14・15日、瀬戸内海しまなみ海道でつながる愛媛・大三島に行ってきた。

 埼玉のNさんからの誘いで、千葉のTさんと3人で、ここ半年ぐらい、教師Mさん(故人)についての調べをつづけている。

 Mさんの教職の歩みをごく簡単にならべると、東京高師を出てのち、宮城の旧制古川中学・仙台二中に勤め、北海道にわたり、36歳で札幌二中の校長、戦後、名寄高校、深川西高の校長、1953年に宮城にもどり新制の白石中の校長、4年後に教諭で仙台二高に転任し退職している。

 この教職歴だけを見ても、普通でないことに気づかれたことと思う。

 深川西高時代についてのなかで、Nさんの聞き取りに答えた当時生徒だった方が、

「僕が3年生の時、日米安保条約が発効され、緊急の生徒集会でM校長は涙ながらに『これからの日本は大変なことになる』と全生徒に訴えた。僕自身の生き方を決定的に変えたのはそのときのM校長だったと今でも思っている」と言っている。

 こんなことがいくつもあったM校長の言動が、高校から中学への異動の原因になったようだし、白石中校長から二高の教諭への格下げもユエあってのことのようだ。

 このようなMさんを今3人で調べているというわけ。

 そこで、今度行った「大三島」だが、東京で生まれたMさんの父親が、大三島にある大通寺の住職になって赴任、以後Mさんは、大三島小学校に入学、旧制今治中学に進んでいる。その大通寺を訪ねたのだ。寺代々の墓地で「大通寺12世」を探し出す。Mさんを知っている人も誰ひとりいない。

 この大三島訪問を含めて、いずれ「人間M校長」についてまとめようということで調べをすすめている。