mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

8月6日

 3日に、第3期戦後教育実践書を読む会の第1回をもった。テキストは宮崎典男さんの「人間づくりの学級記録」、この日の案内人はSさん。参加者はこれまで同様少なく、年度が変わってもふえることはなかった。この企画が始まった頃は毎度人の数を気にしていたが、3年目ともなると、数はまったく気にならなくなった。それだけ、本読み・話し合いにすっぽり入れて、今日はいい時間を過ごすことができた。

 みんなで話し合うと、一人で読んだ時には気づかなかったこと感じなかったことが出てきて、すごく得した気分になる。私にとっては長い間教えていただいた宮崎先生、このテキストも1回ならず読んでいる。なのに、みんなの話はどれも新鮮なのだ。

 例をあげると、「学級集団」の章をみんなで読み合ったが、この中の「遠足のこづかい」で話題になった一つが「話し合いを話し合う」(宮崎さんのことば)ということ。

 「遠足のこづかい」について話し合いをした後、宮崎さんは、約束の額をオーバーしたKのことを学級通信に書き、Kの母親から返信を受け取る。それに関して宮崎さんは次のように書く。「私は、この手紙を読んで、親が教育を理解してくれないとか、親に熱意がないというようなコトバが、いかに、教師の身勝手や、偏見にみちたものであったかということを思い知らされました。~ 私たちが、世の親にいだいていた不信や、思いあがりや、さげすみのコトバは、今や、私たち教師自身にむけられた反省としてのみ真実であったことを知りました」と。

 その後で、宮崎さんは、「『話し合いを話し合う』機会を2回もった」と書いており、この「話し合いを話し合う」についてしばし話題になったのだ。ことばを替えると、「話し合い」で終わることと「話し合いを話し合う」ことの違いについてのいろんな事例と考えが出された。テキストを読んでいながら私は仕事に生かすことができなかったことを悔むのだが、今になってでも考えることができたことをうれしく思った。