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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

7月30日

 「やまびこ学校」を第1回のテキストとしてスタートした「戦後教育実践書を読む会」は、3年目の第3期に入る。第3期1回目は今週の土曜の午後1時半から、使用テキストは、宮崎典男著「人間づくりの学級記録」。1957年に書かれたもの。センター書棚のものは62年4刷となっている。当時、麥書房から「生きている教育シリーズ」10巻が出され、そのシリーズの第1回が「人間づくりの学級記録」である。

国分一太郎さんが「序にかえて」を寄せているが、その最初の部分を紹介する。

  これを単なる実践記録といっていいのだろうか。ぶあつい原稿を読みながら、わたくしは終始こう考えつづけなければなりませんでした。本になったものを読む読者諸君も、きっと同じ思いをすることでしょう。

  どんな小さなできごと、いとなみをあつかった部分にも、「だめおし、だめおし、このだめおし!」と驚かなければならないような「だめおし」が、かならず出てくるからです。宮崎君は、これを「できるかぎりの理論化、体系化」と、そのあとがきでのべています。この意味で、この本は、単なる実践記録ではない。こういえるのではないかと思います。成熟してハチキレソウナ実践と思索の果実とでもいったらいいのでしょうか。(以下略)

宮城県教育研究所にいた宮崎先生は、49年、なぜか辞職せざるをえなくなる。いわゆるレッドパージ。理由は本人もわからないのではなかったか。推測されるのは「カマラード」誌の編集を中心にする活動。その後53年に福島が採用してくれ、赴任したのが土湯小学校。その土湯での記録が「人間づくりの学級記録」。

4年後、東北本線沿線の藤田小学校に移り、自宅槻木から通勤。「あの本の原稿は通勤の車中で書いた」と言っていたことがあった。本の付記のなかで、「― いまは、よもの花がさく春である。しかし、やがて、木枯しと不毛のときが来るであろう。その氷河期にそなえるために、汝の薪を運ぶべきである。― 」という詩の一部をひき、「わたしが、こんなことを書いたのは、あの『ひとみ』の子等に対しても、もっともっと、人類や、民族の文化に対する愛情を育てあげるべきだったという反省の意味もあります」と書いている。

他の仕事に学ぶということが教師を教師にしていくという強い思いこみでつづけているこの読む会が一人でも多くの参加者で読み合える会になることを願う。