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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

7月6日

 暑い! ニュースでは各地の猛暑が伝えられる。梅雨が明けてないせいでカラッとしないのも体に応える。

 ゴロゴロしながら、なんとはなしに絵本の書棚から「葉っぱのフレディ」を取り出す。98年に出されたものだ。この絵本は、かつて自分が取り組んだ自然の循環の授業と根っこは同じだと思っていたが、あらためて読むと、授業はずいぶんおおざっぱ過ぎたことに気づいた。それは、どうも自分は、自然の循環に気づかせる・循環を教えることに気持ちが傾斜しすぎていたことにあったようだ。

 「葉っぱのフレディ」には、編集者と作者のメッセージが冒頭にある。編集者田中和雄は、「この絵本を 自分の力で『考える』ことをはじめた子どもたちと 子どもの心をもった大人たちに贈ります。わたしたちはどこから来て どこへ行くのだろう。生きるとはどういうことだろう 死とは何だろう。人は生きているかぎりこうした問いを問いつづけます。この絵本が 自分の人生を『考える』きっかけになってくれることを祈ります。」と書いている。

 私の授業の決定的な弱点は、この「考える」ことについてあると思った。私は森や木ももちろん扱っている。でも、子どもたちはどんなに考えにくかったろうかと情けなくも今気づいた。

 フレディの場合、終わり近くはこうなっている。

 雪の日の明け方。フレディは迎えに来た風にのって枝をはなれる。痛くもなく こわくもない。フレディは 空中にしばらく舞って それからそっと地面におりていく。そのときはじめてフレディは 木の全体の姿を見る。なんてがっしりした たくましい木なのかと思う。木の姿を眺めながら、これならいつまでも生きつづけられるにちがいないと思い、フレディはダニエルから聞いた“いのち”ということばを思い出す。“いのち”というのは 永遠に生きているのだと考える。ここでフレディは、木の全体を見ることで“いのち”まで考えが広がっていったのだ。

 授業は、教師の側からもフレディの側からもつくれるだろう。私の場合大きな違いが起きたのは、私が子どもの側に立って「考える授業」を考えなかったことにあると思ったのだ。

 夜観たNHKスペシャルの「足元の小宇宙」も、フレディの延長上でおもしろかった。足元の小さな植物も、それぞれがおかれた環境のなかで一生懸命に生きている姿が82歳の写真家のレンズのなかで踊っていた。

 授業の題材は山ところがっていると思った。私にはもう資格はないが・・・。